大映4K映画祭「近松物語」香川京子、溝口健二監督の演出語る 忘れられない「反射して下さい」

日本

 東京・有楽町で開催中の「大映4K映画祭」で、溝口健二監督「近松物語」(1954)主演の香川京子が2023年2月5日、上映後のトークイベントに参加した。香川は溝口監督について「役の気持ちになっていれば、自然に演じられる。いつも『反射してください、反射してますか』と言われた。芝居の根本を教わりました」と振り返った。

 「近松物語」は、近松門左衛門の人形浄瑠璃が原作。不義密通と誤解された男女が、逃避行のうちに真実の愛に気付き、覚悟を決める物語。二枚目スターの代名詞、長谷川が主人公の茂兵衛、茂兵衛が仕える主人の妻・おさんを香川が演じている。溝口監督が「西鶴一代女」(52)、「雨月物語」(53)、「山椒大夫」(54)とベネチア国際映画祭で3作連続受賞した直後の作品。

溝口健二監督の思い出を語る香川京子=東京・有楽町で2023年2月5日=龐棟元撮影

 司会者との主なやり取りは次の通り。

何もかも初めて「大変なことになった」

 ──「近松物語」ではおさんという人妻を演じています。実は最初はその予定ではなかったんですね。

 南田(洋子)さんが演じた「お玉」のはずでした。ところがその年(54)の初めに「山椒大夫」(54)に出演して、「七人の侍」(51)と一緒にベニス(ベネチア国際映画祭)に出品されて、ベニスへ行きました。(大映の)永田(雅一)社長さんが飛行場に迎えに来てくださって「君がおさんをやることになったよ」。私は時差もあるし、なんだかぼんやり「ああ、そうですか」。それから1週間ぐらいして京都へ行き「これは大変なことになった」と。とにかく初めてのことばかり。京都の言葉も、裾を引いて歩く衣装も、人妻役も初めて。まだ22歳で、本当にどうしようかと思ったんですね。

 でも浪花千栄子さんがお母さんの役で、京都の言葉の指導もしてらして、毎日セットに来て下さっていた。浪花さんは嵐山に竹生(ちくぶ)旅館をお作りになって、まだ開業してらっしゃいなかったんですけれど、私はもう無理やり押しかけて、泊めて頂いて。それからずっと竹生旅館から通っていました。何もかも初めてですから、衣装を衣装部さんから借りてきて歩く練習、言葉の練習。溝口監督って演技指導って一切ならさない。セットに入ると「じゃあやってみて下さい」というだけなんです。私はもう、部屋に入ってもどこに座ったらいいのかも分からない。浪花さんにすがって教えて頂いて、なんとかできたんです。

 改めて(『近松物語』の)DVDを見たんですが「ああ、こんなドラマの映画だったのか」とびっくりしました。その時は何も周りが見えなくて、セットに行くと「今日はこのカット、どうしたらいいんだろう」って。落ち着いて見てみたら「なかなか大変だったなあ」と今でも思います。

浪花千栄子に助けられ「旅館に押しかけ、言葉も教わった」

 ──おさんになった理由は、溝口作品の脚本を多く書いた依田義賢さんが「溝口さんが香川さんを気に入ったから」と書いています。永田社長は当時、プロ野球のオーナーや競馬の馬主などでも有名な人だった。大映が勝負をかける作品は「永田雅一製作」ですね。そんな人がわざわざ迎えに来て、「おさんは香川さんで」と言った。

 「七人の侍」(54)が賞を獲ったので、喜んで迎えに来られた。その時に初めて「おさんをやることになったよ」と言われて。それから1週間で京都へ行ったんですが、はあ(ため息をついて)もう大変でした。
 
 ──印象に残る場面がいくつかあります。初めて登場する時の着物の豪華さ。ああいう着物を着こなすのはとても難しいですよね。

 慣れないと歩けないんです、裾がからまって。浪花さんの旅館のお部屋で衣装を着て歩く練習をしました。

 ──NHKの連続テレビ小説(2020)「おちょやん」のモデルの浪花さんですね。

 嵐山の旅館に押しかけていって、泊めて頂いて。京都の言葉も浪花さんに教わりました。

 ──二人が死のうと思って小舟に乗ります。長谷川さん演じる茂兵衛が思いを告げる。そうしたら……。

 「死ぬのはいやや」って。男の人は困りますよね。死ぬつもりでいたのに。きっとびっくりして困ったろうと思います。

「近松物語」で長谷川一夫(右)と香川京子

溝口監督「役の気持ちになれば、自然に動けるはずだ」

 ──そこから二人の関係性がガラッと変わります。茂兵衛がおさんを置いて逃げようとする。

 どうして私を置いて逃げたのかって、子供みたいに怒るところ。足を引きずって何回もやるうちに、全然意識しないで転んじゃったんです。芝居でじゃなくて本当に。胸を打つぐらい激しく転びました。そうしたら、うまくできなかった悲しみとおさんの悲しみが胸から浮かび上がってきて。その勢いで長谷川さんに「どうして逃げたんだ」って言います。子どもみたいな気持ちになって、長谷川さんに迫っていった。自分でも不思議です。「芝居って不思議なものなんだなあ」と。そしたら監督さんが「はい、本番行きましょう」と。何もかも忘れて長谷川さんにぶつかって行ったんです。それがよかったのかなあ。

 前作の「山椒大夫」ではの時は、まだ少女の役でそんなことはなかったんです。おさんはいろいろ背負っているでしょう。一度茂兵衛から引きはがされて、実家に戻されますね。お兄さんもお母さんもおさんにいろんなことを言う。(溝口)監督さんが「こんなに言われて、あなたはじっとしていられますか」とおっしゃる。それで立って出口へ行くと茂兵衛が入ってくる。そういうふうに芝居というのは、自分の番が来たからセリフを言うのではなくて、相手の言葉や動きに反射して初めて芝居ができるんです。「反射して下さい、反射してますか」って、しょっちゅう監督さんに言われてたんです。それがとっても勉強になりました。やっぱりお芝居の根本ですよね。それを教えて頂いたんですね、溝口監督には。本当にありがたかったと思っています。

 (溝口監督は)「俳優というのはセットに入った時に、その役の気持ちになっていれば、自然に動けるはずだ」とおっしゃるんです。私まだそこまで行っていなくて、何も分かっていなかった。今見ても「ああ、あの時はああいう気持ちで、あんなことを考えていたなあ」と思い出します。その連続だったんです。後半はむしろおさんが積極的に茂兵衛を引っ張っていく。「そうしなくちゃいけない」と考える余裕もなかった。このカットはどうやったらいいんだろう、とそればかり。周りが見えなかった。後で考えると、おさんの茂兵衛への一途な気持ちと、私の「一生懸命やらなきゃいけない」という気持ちがどこかで一緒になったかなあ、と思いますね。

 ──ラストの明るい表情は、香川さんの中から出てきましたか。

 そうですね。女中さんたちが「あんな明るい顔を見たことがない」と言うでしょう。やっぱりそういう顔してなければいけない、と思って。それでちょっと振り返って「茂兵衛と一緒にいられる」という喜びを、明るい顔で見せなければと思いました。

「大映4K映画祭」のポスターとともに写真に収まる香川京子=同上

長谷川さんは「芝居のことを何でも知っていた」

 ──長谷川さんとは何度か共演していますね。

 ええ、私は時代劇が多いですが、京都の大映の仕事が多かった。長谷川さんとは娯楽作品で何回かご一緒させて頂いた。私は「色気がない、色気がない」って皆に言われ続けてきたんですけれど、長谷川さんが「手の動かし方をちょっとこうやると、女らしくなるよ」とか、細かいことを親切に教えて下さった。何回かご一緒させて頂いたので、茂兵衛にすがることも自然にできた。ありがたかったですね。

 ──長谷川さんと最初に共演されたのは1952年の「勘太郎月夜唄」という作品ですね。

 神社の境内でお芝居があったんですけれど、私は割と背が高かったんですね。日本髪を結っているとまた高くなる。長谷川さんはそんなに背が高くないので、私の足元をちょっと掘って、私を低くしてて並んでちょうどいい感じ。ああ、スターってこういうこと言うことなんだな、と初めて知った瞬間でした。

 本当に長谷川さんって優しい方で、芝居のことを何でもご存知でした。「ちょっと照明が強すぎる」とか指示なさるぐらい。(「近松物語」では)長谷川さんが私をひょいと腰に乗せて、しかも触らないで。奥さん(おさん)は大事なご主人だから、失礼なことがあってはいけない。体に触らないようにして、私を移動させた。あれは長谷川さんでなければできなかった。触らずに、形をきれいにして。いろいろと教えて頂きました。

 ──「近松物語」は脇役も素晴らしかった。憎々しさも含めて。たとえば(おさんの夫役の)進藤英太郎さんは、「山椒大夫」でも怖い役でしたね。

 進藤さんはとても優しい、腰が低い方でした。ああいう悪い役ばかりでお気の毒じゃないかと。失礼かもしれないけど、とても丁寧な方なんです。

 ──憎々しさでナンバーワンは、小沢栄太郎さんですね。

 小沢さんはねえ、憎らしいわねえ(笑)。お上手ですよね。憎らしい。あの頃は時代劇がとても良かったですね。美術のセットが立派で、内容はどうであれ、時代劇に重みがありました。

 ──美術は水谷浩さん、カメラは宮川一夫さんですね。「羅生門」や「浮草」、黒澤明作品を多く手掛けた名カメラマンです。香川さんは「山椒大夫」の美術に驚かれたそうですね。

 ええ、セットの屋敷の柱の太さにびっくりしましたね。宮川さんはニコニコニコニコしてらして、本当にいい雰囲気の方。怒ったりなさらなくて。私はできなくてつらくてつらくて、宮川さんの顔を見るんです。すると宮川さんがニコニコっとして下さって。救われるような思いをしたこともありました。優しい立派な方でした。ご自分のお仕事が休みの時は、あちこちの美術館で勉強されていたと聞きました。すごく努力されていたと思いました。

 水谷さんはベニスの映画祭へ行く時、私に着物を選んで下さった。ずいぶん立派な着物でね。だから大映ではずいぶんいろいろな方にお世話になりました。

溝口監督の言葉は「黒澤組でも役立った」

 ──溝口監督は映画が完成した後、何か言いましたか。

 何もおっしゃらなかったんですよ。でもね、一生懸命やって、監督さんが「OK」と言って下さったから、それでOKなんだろうな、と思っていました。いい勉強をさせて頂いて、今でも感謝しています。あの「反射してますか、反射して下さい」は、黒澤(明監督)組でも役に立ったと思います。黒澤組の女性はあまり表に出ませんが、大事な芝居がある時もあって、ぼーっとしていられないんです。周りの人の動作を見て、言葉を聞いて、反射しなきゃいけないシーンが多い。今でも反射は忘れませんね。一番大事なことなんだなって。

客席に手を振る香川京子=同上

小津、黒澤、溝口の名作に続々出演「フリーで良かった」

 ──永田社長からはある依頼があったそうですね。

 ええ、帝国ホテルで食事をごちそうになって「大映の専属(俳優)になりませんか」って。「すぐにはお返事できないし、考えさせて頂きます」で終わったんですが。でもやっぱり、私ずっとフリーでいたので、テレビにもすぐに出られるし、自分で選べるし。申し訳ないけどお断りしました。

 ──日本の映画の世界は(主要映画会社による)「五社協定」で、専属俳優は自分の会社の作品にしか出られない。香川さんが大映の専属になっていたら、その後の黒澤明作品、つまり東宝の作品には出演できなかったかもしれないですね。

 本当ですねえ。だからいまだにフリーですけど、フリーがいいわ(笑)。

 ──松竹の小津安二郎監督「東京物語」(53)、東宝では黒澤作品に出られている。フリーの苦労はなかったですか。

 あまりなかったですね。でも監督さんのところに行って「この役をぜひやりたい」と言ったことは一度もないんです。みんなあちらからお話がありました。私がどうして立派な監督さんのお仕事をさせて頂けたのか、ちょっと分からないです。

 ──小津安二郎、黒澤明、溝口健二。違いはありましたか。

 すごい差がありますね。溝口監督は「ちょっとやってみて下さい」と言ってから、宮川さんのカメラを決める。小津監督は朝セットに入ると、もうカメラが低いところに据えてありました。「ここにこういう順序で座りなさい」と。ちょっと正反対ですね。溝口監督は大きな声は決して出さず、できるまで待っている方でした。セットに入っていくと、椅子に座っていらして「はい、じゃあやってみて下さい」と言うだけなんです。すごく印象に残っています。芝居を見て、カメラをお決めになる。小津監督はカメラが決まっている。ずいぶん違いますね。
 
 こんなに長くお仕事をさせて頂いたことは本当にありがたいです。大映の方たちにも本当にお世話になって、嫌なことは一つもなかったしね。とっても幸せで感謝の気持でいっぱいです。どうぞ皆さんもお元気でお過ごし下さいますように。本当にありがとうございました。

(文・阿部陽子 写真・龐棟元)

 大映4K映画祭は、日本映画黄金期を支えた映画会社・大映の創立80周年を記念して1月に開幕した。増村保造監督、若尾文子主演の「赤い天使」、吉村公三郎監督、山本富士子主演の「夜の河」など全28作品を4K化して上映している。

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