大阪アジアン映画祭レポート(2)釜山を育てたキム・ジソク氏 情熱の足跡たどって

映画祭

 2023年3月10~19日に開催された「大阪アジアン映画祭2023」で、韓国の長編映画「ジソク 映画祭をつづける」が日本初上映された。“ジソク”とは釜山国際映画祭の創設メンバーで、2017年にカンヌ映画祭を訪問中に急死したキム・ジソク氏だ。「ジソク:映画祭をつづける」は、プログラミングディレクターとしてアジアの優れた映画を発掘し、映画人の育成に力を尽くした彼の足跡をたどるドキュメンタリーだ。

上映めぐり市と映画祭が対立 中心メンバーに深い傷

 釜山映画祭は2014年、約300人の犠牲者を出した旅客船セウォル号の沈没事故の真相を究明するドキュメンタリー「ダイビングベル」の上映をめぐり、釜山市と対立した。その後、市は助成金のカットや執行委員長の解任を強行。反発した国内の映画人が映画祭をボイコットする騒動に発展した。市が運営から退く組織改編で問題は沈静化したように見えたが、ジソク氏ら中心メンバーが負った傷は深かった。

「ジソク 映画祭をつづける」=映画祭事務局提供

 邦題の「ジソク 映画祭をつづける」には「映画祭を続けることは容易ではない」という意味が込められている。映画祭存続を願うジソク氏の思いは強かったが、それは運営メンバーの総意ではなかった。日本では主に財政上の理由から、価値ある映画祭が次々に消えていく現実がある。大阪アジアン映画祭の危機感も大きい。そうした意味で、このドキュメンタリーを日本で上映することには意味があっただろう。今回、大阪を訪れたキム・ヨンジョ監督に製作にまつわる話を聞いた。

親交あったマフマルバフ、侯孝賢監督らのインタビューで構成

 ――監督を務めることになった経緯は。

 釜山映画祭のイ・ヨングァン理事長から提案されました。イラン出身のモフセン・マフマルバフ監督や台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督ら、(ジソク氏と親交のある)著名な監督がいるので自分には無理だと思いましたが、最終的には引き受けました。ジソクさんと直接の交友があったわけではありませんが、釜山の大学で映画を学んでいた時にジソクさんが講師を務めていたり、1997年の第2回釜山映画祭でスタッフをしたりと縁がありました。映画を続けるべきか迷っていた時に、映画こそが自分の道だと思わせてくれたのは釜山映画祭にかかわる人々の情熱でした。ご家族にもジソクさんと自分との縁を話して製作を許可していただきました。

舞台挨拶するキム・ヨンジョ監督(左)とプロデューサーのキム・ドンベク氏(右)=大阪市で筆者撮影

 ――マフマルバフ監督やタイのアピチャッポン・ウィーラーセタクン監督、是枝裕和監督やアジア各国の若手監督ら、ジソク氏を慕う多くの映画人のインタビューで構成されています。

 編集でカットした人もいますが、釜山映画祭を訪れた約30人にインタビューしました。若手映画人の支援にこだわっていたので、アジア各国に“ジソク・キッズ”がたくさんいます。これは自分の映画というよりは、ジソクさんと彼の友人とジソク・キッズと自分とで作った、みんなの思いを伝える映画です。困ったのは、ジソクさんの写真や映像があまり残っていなかったことです。自身は裏方で表には出ないという考えでしたので。しかしマフマルバフ監督が、釜山映画祭関係のドキュメンタリーでジソクさんにインタビューした映像を探して送ってくれたり、いろいろな人に助けてもらいました。

キム・ヨンジョ監督「人間と人間の葛藤はどこにでも」

 ――「ダイビングベル」問題で、映画祭の運営スタッフが「政権の介入があっても映画祭を継続するのか、ボイコットすべきなのか」で分裂していく過程も描かれています。ジソクさんは継続、他の主要スタッフはボイコットを主張し、埋められない溝を残しました。

 映画の最後に、「ダイビングベル」以前のジソクさんへのインタビュー映像が出てきます。そこで彼は「映画祭は人間がすることだ。多くの映画祭は葛藤が深まって崩壊した。しかし釜山映画祭は固い友情で作られているため、心配していない」と笑顔で話しています。結果的に、友情と信頼を強調したこの言葉はアイロニー(皮肉)となってしまいました。ただ、人間と人間との葛藤はどこにでもあるもので、家族でさえも争います。この問題を浮かび上がらせたのは政府や行政だと思います。

(文・芳賀恵)

Osaka Asian Film Festival 2023
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