「トオイと正人」舞台あいさつ タイ、ラオス、福島 写真家・瀬戸正人の記憶たどるドキュメンタリー

舞台あいさつ

 写真家・瀬戸正人の人生を追ったドキュメンタリー映画「トオイと正人」公開初日の3月25日、東京・渋谷で原作・出演の瀬戸、小林紀晴監督、ナレーションを担当した女優の鶴田真由が舞台あいさつした。写真家・小林監督の初監督映画。日本をルーツにタイで生まれ、複数の文化の中で生きてきた瀬戸。「われわれは『アジア国』に住んでいると伝えたい」と語った。

舞台あいさつで「ほかの人ができない経験をした」と語る瀬戸正人=東京・渋谷で3月25日、龐棟元撮影

 瀬戸の自伝エッセイで新潮学芸賞を受賞した「トオイと正人」(1998年刊)が原作。残留日本兵の父とベトナム系タイ人の母のもと、タイで「トオイ」として生まれ育った少年期と、8歳で父の故郷・福島へ移り住み「正人」となった後半生をたどる。「いつか映画化を」と考えていた小林監督が2016年、瀬戸のもとを訪問。二人は一緒に福島・浪江町、タイ、ラオスを旅する。

写真家・小林紀晴監督が初メガホン 「いつか映画化を」と考え20年

 ともに写真家として活動する瀬戸と小林監督。舞台挨拶で瀬戸は「最初に小林さんが訪ねてきた時、驚いて『映画になるんだろうか』と。確かにほかの人ができない経験をして、本も書いた。面白いかな、とも思った」と振り返った。今回が初メガホンとなる小林監督は「20年ぐらいかかったけれど、なんとか形になった」と語った。鶴田は「瀬戸さんを通して旅をしている気分になった」と話した。

 瀬戸の父・武治は1942年、太平洋戦争に出征。1946年、タイ国境に近いラオスの小さな町で敗戦を知る。生きるためにベトナム人へなりすましてタイへ渡り、東北部の町・ウドーンタニで結婚。トオイこと瀬戸が生まれた。その後、タイ政府のベトナム人摘発を受けて日本大使館へ名乗り出て、1960年に妻やトオイと福島へ帰る。

 映画化に際し、小林監督は瀬戸とウドーンタニを訪問。瀬戸が通った小学校も訪れた。「一人で行ったら小学校で名簿を探すのも大変だった。瀬戸さんがいたから、するするっと入っていけた」と小林監督。瀬戸は現地を過去に何度か訪れたが、小学校や市役所へ行くのは初めてだったという。「近所の人の話を聞いて、当時の父を知ることができた」と話した。

複数の言語と文化で成長した少年時代を「すごく面白い経験だった」と振り返る瀬戸正人=同

 ウドーンタニではタイ語やベトナム語を使って生活し、8歳で日本へ移住。日本語をゼロから学んだ瀬戸は、複数の言語と文化で成長した少年時代を「すごく面白い経験だった」と振り返った。

 「母親はベトナム人で、タイで生まれた。現地にはベトナム人コミュニティーがあり、仕事はベトナム語。お客さんがタイ人ならタイ語を使うのが普通だった。父は日本人だったが、一切日本語を教えてくれなかった。僕は学校ではタイ語で、家族とはベトナム語。ベトナム人の友達とはベトナム語、タイ人の友達とはタイ語で話した。福島に来た時、学校では標準語を教える。休み時間は方言で『日本語はどっちが正しいのか』と混乱した。月曜日の国語の時間に、先生が『週末に何をしたか話しなさい』と標準語で聞いた。僕が方言で話したら、みんな笑うの。すごくショックだった。なぜ笑われたのか分からない。場が違うんだと。それはずっとコンプレックスになった」

 現在の瀬戸は、一度は忘れてしまったタイ語を思い出し、話せて字も書けるが、読むことはできないという。「学校で当時勉強したので、するするっと書けるんですが、読めないんですよ」と語った。
 
 日本をルーツにタイで生まれ、複数の文化の中で生きてきた瀬戸。最後に「われわれは『アジア国』に住んでいる。共通する『コメ文化』の中にいるんだ、と伝えたい」と話し、舞台挨拶を締めくくった。

(文・阿部陽子 写真・龐棟元) 

「トオイと正人」(2023年、日本)

監督・脚本・撮影:小林紀晴
出演:瀬戸正人、尾方聖夜

2023年3月25日(土)、シアター・イメージフォーラムで公開。作品の詳細は公式サイトまで。

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