“共に食べ、共に生きる” ヤン ヨンヒ監督新作「スープとイデオロギー」を語る

インタビュー

 在日コリアンのヤン ヨンヒ監督の家族ドキュメンタリー第3弾「スープとイデオロギー」が全国で順次公開中だ。前2作で在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の熱心な活動家だった両親を見つめてきた監督は、母の人生を決定づけたものが済州島の住民武力弾圧「済州四・三事件」だったことを語る。7月15日にトークイベントのため札幌を訪れたヤン監督にインタビューし、映画に込めた思いを聞いた。

 「スープとイデオロギー」の主人公は監督のオモニ(母)のカン・ジョンヒ(康静姫)さん。2009年に監督の父が亡くなった後、大阪市生野区(旧・猪飼野)の自宅で一人暮らしをしている。この地域に集住した在日コリアンは、「北か南か、誰もが政治的思考を問われた。政治と切り離せる日常などなかった」(映画のナレーション)という言葉に集約されるように、朝鮮半島の分断という現実と無関係ではいられなかった。

 ドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」(05)と「愛しきソナ」(09)、劇映画「かぞくのくに」(12)でも描かれた通り、監督の兄3人は日朝両政府が推進した「帰国事業」で1970年代に北朝鮮に渡った。ジョンヒさんは息子たちと家族に40年以上、せっせと仕送りをした。ヤン監督は借金をしてまで仕送りを続ける母を理解できず、たびたび口論する。

 その母が2010年代の中ごろ、突然「済州四・三事件」の体験を語り始めた。断片的だった話がまとまった物語になったのは、監督の夫となった荒井カオルさんの出現がきっかけだった。監督は振り返る。

 「大阪生まれの母は(日本植民地からの)解放後に済州島に戻った。その後、『四・三』で婚約者が死に、現地で多くの島民が虐殺される現場を目撃する。娘には端折(はしょ)って話すことも、日本人の荒井には詳しく丁寧に説明していた。彼は聞き上手で、母は時には2時間も話し続けることもあった。60年以上も押し殺していた記憶だけに忘れていることも多かったが、思い出せば次に話してくれる。この歴史的な証言を記録して映画にしなければいけないと思った。結果的に家族ドキュメンタリーの最終章ができた」

 大阪生まれのジョンヒさんは戦後済州島に戻ったが、そこで惨事を目の当たりにする。「済州四・三事件」とは、1948年4月3日に済州島で起きた武装蜂起を発端に米軍が徹底的な武力鎮圧を行い、3万人近くの島民が犠牲になった事件だ。日本からの解放後、朝鮮半島は米ソの分割占領下におかれたが、米国は南だけの単独選挙を行うことを決定。これに反対する人々が立ち上がったのだ。米軍の「アカ狩り」は熾烈を極め、18歳のジョンヒさんは婚約者が蜂起グループに加わっていたことから危険を感じ、幼い弟と妹を連れて密航船で日本に逃げた。

 監督は母の話を聞くことで、母がなぜ北朝鮮に忠誠を尽くしたのか、なぜ韓国政府を否定し韓国の文化までも嫌ったのかを理解する。何の罪もない島の住人たちを無差別に殺した米軍と大韓民国政府を許すことができなかったからこそ、両親は故郷から遠く離れた北朝鮮を“祖国”に選んだのだ。

 「生前の父は私に『結婚相手は日本人とアメリカ人はダメだ』と話していた。母はどう考えているか気になっていた。初めて荒井が母に挨拶に行った日、母は丸鶏にニンニクや高麗人参などを詰めてじっくり煮込んだ特製のスープを振る舞った。母は北朝鮮のことを言わないし、荒井も言わない。うっとうしいことは乗り越えて、2人が鶏を仲良く食べている。それを見た時、長編映画ができると思った。私の家は家族を北に送って金日成(キム・イルソン)と金正日(キム・ジョンイル)の肖像画を掲げて暮らしている、在日の中でも特殊な家。マイノリティー中のマイノリティーだ。そういう家族の話に(観客が)アクセスする時に荒井がいいブリッジ(橋渡し)役になってくれた」

アニメで再現される「四・三」

 ジョンヒさんの体験は、作品の中でアニメーションで描かれる。原画を手掛けたのは絵本作家のこしだミカさん。監督はこしださんを伴って現地を訪れ、海や石の色、小さな村にある慰霊碑などを見て回った。手描きの素朴な絵は、美しい島で起こった惨劇への想像力を呼び起こす。

 「『四・三』の記録映像は存在するが、調査報道の色になってしまうため使わなかった。無骨な紙芝居のようなアニメーションを目指した。本作が4作目となり作り手としての成長も見せたい。初めてアニメーションを使ったり済州ロケを行ったり、欲があった。それで荒井に『しばらくあなたを搾取するから』と(笑)。5年間、ほとんどの収入をつぎ込んでくれた」

 フリーライターの荒井さんは依頼された仕事をすべて受け、ヤン監督の映画を全力で応援。投資した金額は「高級輸入車1台分」に上ったという。

 「済州四・三事件」は軍事政権下の韓国ではタブー視され、本格的な真相調査が始まったのは民主化後だ。事件から70年の2018年、事件の記録と慰霊のために設営された四・三平和公園で大規模な追悼式が行われた。ヤン監督と荒井さんはジョンヒさんを伴って参加した。

 「母は2017年11月に韓国から来た聞き取り調査のスタッフに3時間にわたって具体的な証言をした後、認知症で急速に記憶を失っていった。最後はみんなで一緒に暮らした幸せな時代の妄想の中で穏やかに過ごした」

 北朝鮮に忠誠を尽くす母、それを理解できない韓国籍の娘、そして日本人の夫。3人は考え方や国籍の違いを超えて鶏とスープの食卓を囲む。映画のタイトルには、思想や立場が違っても一緒に食事をし、ともに生きようという意味が込められている。

 ヤン監督は「『四・三』の歴史は大阪の歴史でもあり、在日の歴史は日本の歴史でもある」と、この物語が決して特殊な家族のものではないと話す。

 ジョンヒさんは映画の劇場公開を待たず今年1月に亡くなった。しかしその記憶を語り継ぐ映画はこの先も残り、対立が絶えないこの社会に問いを投げかけ続けるだろう。

(文・芳賀恵)

「スープとイデオロギー」(2021年、韓国・日本)

監督・脚本・ナレーション:ヤン ヨンヒ

2022年6月11日(土)、ユーロスペースほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

映画『スープとイデオロギー』
『ディア・ピョンヤン』『かぞくのくに』ヤン ヨンヒ監督待望の最新作『スープとイデオロギー』6月11日全国公開

作品写真:(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi

記事トップ写真:ヤン ヨンヒ監督(右)と荒井カオルさん=札幌・シアターキノで7月15日、芳賀撮影

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