2017年06月22日

「ありがとう、トニ・エルドマン」リアルとシュールの絶妙なバランス 父と娘の破格な愛

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 トニ・エルドマンとは、主人公であるヴィンフリートが創造したもう一つの人格である。学校の音楽教師をリタイアし、時間をもてあましているらしいヴィンフリートは、気が向くと入れ歯やカツラで変装し、トニ・エルドマンと名乗っては、悦に入っている。

 そんなヴィンフリートにとって、気がかりなのは娘のイネスのことだ。コンサルティング会社に勤めるイネスは、ルーマニアのブカレストに赴任し、朝から夜まで働きづめ。たまにドイツの実家に帰ってきても、ケータイで仕事の打ち合わせばかりしている。結局、ろくに会話もしないまま、ブカレストに戻ってしまう。

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 イネスが心配でたまらないヴィンフリートは、はるばるブカレストまで彼女に会いに行く。驚くイネスだったが、仕事に忙殺され、父にかまっている暇などない。だが、あまり冷たくするのも気の毒に思ったか、イネスは財界人が集まる大使館でのレセプションに父を招く。ヴィンフリートは、取引先の役員を怒らせて落ち込む娘の姿に、彼女の仕事の過酷さを垣間見る。

 企画、プレゼンテーション、接待と、休む間もなくスケジュールをこなしていくイネス。そんなイネスの前に、ヴィンフリートはトニ・エルドマンの姿で現れるようになる。同僚との食事会、上司と口論している屋上、ボーイフレンドと楽しんでいるパーティー。

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 まさに神出鬼没。ごく日常的な風景の中に、突如として姿を現す異形の中年男。リアルな世界をかき乱すシュールな人物。ビジネスでキャリアを積み上げるために、毎日必死で頑張っているイネスにとっては、迷惑このうえない存在のはずだ。

 しかし、イネスは父=トニ・エルドマンを決して遠ざけようとはしない。彼の行動が、意地悪や悪ふざけなどではなく、自分を気遣ってのことだと分かっているからだ。

 イネスは、いつのまにかトニ・エルドマンに癒され、影響されていく。手堅く、そつなく、常識的に。それまでの生き方を彼女はかなぐり捨てる。ヴィンフリートの娘ではなく、トニ・エルドマンの娘へ。その気になれば、自分も変身できる。イネスは覚醒するのだ。

 リアルとシュールが絶妙なバランスで、全編に監督の非凡なセンスが光る秀作。カイエ・デュ・シネマ誌、スクリーン・インターナショナル誌など、世界の名だたる映画誌が年間ベストワンに選んでいるのもうなずける。

(文・沢宮亘理)

「ありがとう、トニ・エルドマン」(2016年、ドイツ・オーストリア)

監督:マーレン・アデ
主演:ペーター・ジモニシェック、ザンドラ・ヒュラー

2017年6月24日(土)、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.bitters.co.jp/tonierdmann/

作品写真:(c)Komplizen Film
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2017年04月13日

「わすれな草」 認知症が人間関係を再構築 他人と化した妻を愛し直す

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 ドキュメンタリー映画作家のダービット・ジーベキングが、認知症を患った母と過ごす最後の日々を記録した作品だ。映し出されるのは、記憶を失い、夫も息子も区別できなくなった母。そして、彼女の世話に四苦八苦する父や監督自身の姿である。

 介護の過酷さを見せつける映像はほとんどない。失禁で濡れた床を父が掃除する場面ぐらいだろうか。焦点があてられいるのは、介護の厳しい現実ではなく、認知症を通して結ばれる新たな家族の絆である。

「母さんはこの家に30年住んでいるんだよ」
「まさか。初耳だわ」
「父さんとはずっと前から結婚している」
「あなたが父さんでしょ?」

 監督と母との会話である。まったく話が噛み合わない。自分の居場所も家族の顔も名前も認識できなくなった母親。監督は1週間で疲弊しきってしまう。「父はこれを何年も続けてきたんだな」とため息をつく。

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 このまま放置すれば、症状はどんどん悪化し、家族関係は崩壊してしまう。無理やりにでも外に連れ出す。介護人にサポートしてもらう。さまざまな方法を試すが芳(かんば)しい結果が出ない。スイスに旅行中の父に会いに行かせても自分の夫だということが分からない。

 昔のことを思い出せば何かが変わるかもしれない。そんな期待を抱きながら、秘密警察が保管する母と父の記録を閲覧し、母のかつての恋人を訪ねて話を聞く。

 父と母はともに過激な政治活動に身を投じたカップルだった。互いの自由恋愛を条件に結婚。父は浮気が本気になり、離婚を切り出すが、母が「私たちはつながっているの。簡単には別れないわ」と反対した。家事や育児に一切タッチしなかった父。不満を日記に書き記していた母。さまざまな事実が浮かび上がってくる。そして、ある日、思いがけない変化が起こる――。

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 1960年代後半という政治の季節に青春を過ごした知的カップル。自由恋愛という名の不干渉が生み出したであろう心の隔たり。妻の認知症が契機となって、逆にその距離が縮まり、新しい夫婦関係が構築されていく様子が、実に興味深く示唆に富む。「認知症は人間関係を破壊する」という常識に一石を投じる作品だ。

(文・沢宮亘理)

「わすれな草」(2013年、独)

監督:ダービット・ジーベキング

2016年4月15日(土)、渋谷ユーロスぺースほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.gnome15.com/wasurenagusa/

作品写真:(C)Lichtblick Media GmbH

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2016年12月04日

映画祭を振り返る(1)第29回東京国際映画祭最高賞「ブルーム・オヴ・イエスタディ」ホロコーストから60年 被害者と加害者の孫が過去に向き合う

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 今年も残すところ1カ月を切りました。秋の映画祭シーズンを振り返り、レビューやレポートを連載でお送りします。まずは第29回東京国際映画祭(2016年10月25日〜11月3日)東京グランプリ(最高賞)受賞作ブルーム・オヴ・イエスタディ」のレビューです。

…………………………

 「ブルーム・オヴ・イエスタディ」は、ドイツ人男性とユダヤ人女性が、ホロコーストをテーマとするイベントの準備を進める中で、ぶつかり合ったり、ひかれ合ったりする姿を、ときにユーモラスに、ときにシリアスに描いた作品だ。

 ホロコーストの研究機関に勤めるトトは、頑固な性格が災いして担当を外される。だが、トトは引き下がらない。面倒を見るよう命じられたフランス人研修生のザジを巻き込み、独自にイベントの準備を進めるのだが――。

 エキセントリックなザジが、ナチに対する敵意丸出しで、いくぶん無神経なトトを悩ませる。トトの乗るメルセデスベンツを「ユダヤ人移送に使ったのと同種だ」とケチをつけたり、激高してトトの愛犬を走行中の車から放り投げたり――。序盤はドタバタの連続で大いに笑わせるが、中盤からトーンが変わってくる。

 実はザジはユダヤ人犠牲者の孫であり、トトはナチスの孫。2人が歴史とどう向き合い、過去の因縁にどう決着を付けるかが中盤以降の見どころだ。2人がそれぞれに抱える私生活の秘密。新たに発見される真実。物語は急展開に次ぐ急展開で、先の流れを読ませない。

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 メガホンをとったのは、「4分間のピアニスト」(07)で注目されたドイツ人監督クリス・クラウス。自身の家族の過去について調べる中で、見聞きしたドイツ人とユダヤ人のエピソードに着想を得て、脚本を執筆したという。

 過去を決して水に流すことなく、未来への希望を示唆するエンディングの演出が心に沁みる。

(文・沢宮亘理)

「ブルーム・オヴ・イエスタディ」(2016年、ドイツ・オーストリア)

監督:クリス・クラウス
出演:ラース・アイディンガー、アデル・エネル、ヤン=ヨーゼフ・リーファース

作品写真:映画祭事務局提供 (C)2016 Edith Held / DOR FILM-WEST, Four Minutes Filmproduktion
タグ:レビュー
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2016年11月21日

「誰のせいでもない」事故を起こした罪悪感と贖罪 ヴェンダース、3Dで静かに味わい深く

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 カナダ・モントリオール郊外、冬の夕暮れ。田舎道を1台の車が走る。雪が降り、視界が悪い。突然、丘からソリが滑り落ちてくる。車はブレーキをきしませて止まる。静寂。車の前に座り込む幼い少年。幸いけがもないようだ。運転していたトマスは胸をなでおろし、少年を家まで送る。しかし、母ケイトは息子の姿を見て半狂乱になる──。

 一つの事故が、一人の男と三人の女の人生を変えていく。「誰のせいでもない」は、ノルウェーの作家ビョルン・オラフ・ヨハンセンの脚本を、「パリ、テキサス」(84)、「ベルリン・天使の詩」(87)のヴィム・ヴェンダース監督が映画化した。監督7年ぶりの劇映画だ。

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 雪道の交通事故から物語は幕を開ける。事故の加害者となった作家トマス(ジェームズ・フランコ)と、被害者の母ケイト(シャルロット・ゲンズブール)、トマスの恋人サラ(レイチェル・マクアダムス)、その後トマスのパートナーとなるアン(マリー=ジョゼ・クローズ)の数奇な人生がつづられる。

 事故を起こした事で罪悪感に駆られたトマスは酒におぼれ、病院に緊急搬送され、サラとの関係も悪化してしまう。しかし、事故による悲しみがトマスに新たな扉を開き、作家として成功を手にする。2年後、トマスは事故現場を訪れケイトと再会。加害者と被害者の二人は、同じ悲しみを背負い生きてきたことで共鳴し、悲しみを埋め合う関係を築く。

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 4年後、トマスは編集者アンとその娘ミナと新しい生活を始めようとしていた。さらに4年後、トマスはコンサートの席でサラと再会する。トマスは彼女を深く傷つけたことを思い出す。そして事故から11年。トマスに、事故当時は5歳で今は16歳に成長したクリストファーから手紙が届く。

 監督は主人公と三人の女性の心の揺れを静かに描き出す。事故による罪悪感による心の変化、人生への影響と贖罪。時間の飛躍と省略を使い、普遍的なテーマを11年間を通じて描きだした。心の深い奥を描くため、監督はドキュメンタリー映画「Pina ピナ・バウシュ踊り続けるいのち」(11)に続き、3D映像を採用している。

 重要な役目を果たすのはアレクサンドル・デスプラの音楽だ。弦楽を使って同じ和音のメジャーコードとマイナーコードを繰り返し、呼吸の様な効果を与えた。揺れ動く心、緊張感を生み出している。ヒッチコック作品で知られるバーナード・ハーマンが得意とする作曲法で、デスプラはあえて古典サスペンスのような方法を使ったのだろう。

 「誰のせいでもない」は、罪悪感がもたらす主人公の感情の変化を静かに見つめ、人と人のつながりを通し、その感情を克服して新たな道を歩むまでをじっくりと描き出した。ヴェンダース作品の中では地味だが、立体的な3D映像を含め、実に味わい深く仕上がった。

(文・藤枝正稔)

「誰のせいでもない」(2015年、ドイツ・カナダ・フランス・スウェーデン・ノルウェー)

監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:ジェームズ・フランコ、シャルロット・ゲンズブール、レイチェル・マクアダムス、マリ=ジョゼ・クローズ

2016年11月12日(土)、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.transformer.co.jp/m/darenai/

作品写真:(c)2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GÖTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.

タグ:レビュー
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2016年11月10日

「誰のせいでもない」ヴェンダース7年ぶり劇映画 3Dで描く 詩的で静かな原点回帰

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 作家のトマスはエゴイスティックな男である。執筆に邪魔なものや人間は極力遠ざけ、一人きりの世界へと逃避する。恋人のサラはそんなトマスに不満をいだき、2人の関係は破綻しかけている。その日も、雪原の小屋にこもって小説を書いていたトマスだが、一向にはかどらず、いったん家に帰ることに。

 車で帰宅する途中、前方の斜面から少年がソリで滑り降りてくる。とっさにブレーキをかけて難を逃れ、ほっと胸をなでおろすトマス。だが、少年の様子がおかしい。トマスが少年を自宅まで送り届けると、母親は少年に「弟は?」と尋ねる。無言の少年を残し、現場へ向かって走り出す母親。後を追うトマス。

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 何が起きたかは明白である。だが、それが具体的に映像で示されることはなく、次のシーンへと移っていく。サラと新生活をスタートさせるかに見える短い描写。だが、その直後、シーンは2年後に飛び、一人暮らしのトマスが映される。トマスは作家として成功を遂げ、あの日の少年クリストファーの母親ケイトと再会する。

 次のシーンで、トマスは結婚し、妻の連れ子と3人、平穏な暮らしを送っている。だが、3人で出かけた遊園地で観覧車が崩れる事故に遭遇。事故に巻き込まれた女性を救い出すトマスだが、そのあまりの冷静沈着な行動に妻のアンはかえって不安をかきたてられる。

 ある日、トマスのもとに1通の手紙が届く。成長して高校生となったクリストファーからだった。小説家志望で、トマスの小説の愛読者でもある彼は、トマスとの面会を望むのだが――。

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 一人の少年の死亡事故が、主人公トマスの心に波紋を投げかけ、遺族との人間関係が、彼の人生に影響を与えていく。カメラはそんなトマスの感情風景を深く静かに凝視していく。

 作家の主人公。母子との出会い。証明用写真。運河とフェリー。遊園地。そして、ケイトの読む新聞に掲載されたトマスの新刊タイトル“WINTER(冬)”が、「都会のアリス」や「さすらい」、「リスボン物語」など多くのヴェンダース作品の主人公名“ヴィンター”と同じ綴りである点など、“ヴェンダースの徴(しるし)”が全編にあふれる。

 さらには、すべてを語りきらないままの場面転換。的確で悠然としたカメラワーク。3Dという流行の技術を導入しつつも、作風は逆にニュー・ジャーマン・シネマを先導した1970年代の、静的で詩的なスタイルに立ち戻っているように見える。劇映画としては7年ぶりとなるヴェンダースの新作「誰のせいでもない」。まるで新人のような創作衝動が息づく傑作である。

(文・沢宮亘理)

「誰のせいでもない」(2015年、ドイツ・カナダ・フランス・スウェーデン・ノルウェー)

監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:ジェームズ・フランコ、シャルロット・ゲンズブール、レイチェル・マクアダムス、マリ=ジョゼ・クローズ

2016年11月12日(土)、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.transformer.co.jp/m/darenai/

作品写真:(c)2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GÖTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.
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