2014年05月26日

映画「GF*BF」ヤン・ヤーチェ監督に聞く 台湾の社会変化と学生運動 「情熱忘れずに」

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 台湾激動の30年を描く映画「GF*BF」(6月7日公開)のヤン・ヤーチェ(楊雅[吉吉])監督の公式インタビューが届いた。男女3人の愛と葛藤を軸に、戒厳令解除から現在に至る台湾社会の変化を映し出した作品だ。

 映画は民主化前夜、1990年に起きた学生運動「野百合学運」も取り上げている。台湾では今年3月、中国とのサービス貿易協定締結に反対し、大学生らが立法院(日本の国会に相当)を20日以上にわたって占拠したばかり。現場にしばしば赴き、上映会も開いたというヤン監督は「今の情熱、街で闘争に参加した理由を記憶にとどめてほしい。そうすれば台湾はさらによくなっていく」と語った。

 ――主演3人への特別な演出方法はありましたか。

 3人はそれぞれ異なる演技の訓練を受けてきました。そのため演技スタイルが違います。もし彼らの好きなように演技させていたら、作品の中で調和が取れなかったでしょう。リディアン・ヴォーン(鳳小岳)はほかの二人と違い、英国で演技の勉強をしました。英国の演技訓練は非常に綿密なものです。グイ・ルンメイ(桂綸[金美])は内向的な性格ですが、演技は外向的だといえます。ジョセフ・チャン(張孝全)ももともと内向的ですが、演じてきた役柄によってさらにその傾向が強まったようです。

 最初に稽古した時に3人の違いを感じて、いいアイデアを思いつきました。(撮影の)初期に重要なシーンを撮る予定でしたが、彼らには最終版の脚本を渡さなかったのです。役者たちから個別に意見を聞いて、それぞれの意見を他の役者には伝えず、話し合った内容に基づいて脚本に手を加えました。わざと最終版に反映させないで、撮影当日までシーンの最終稿を知っているのは一人だけ、ということもたびたびありました。そうすることで撮影がより楽しくなり、役者たちは心を開いて相手の反応を理解しようとするため、表現にばかりにこだわって自分の役を解釈することがなくなりました。すべての役者が相手の演技を目で見て感じ、正直でリアルな反応をするようになったのです。

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 多くのシーンをこの方法で撮影しました。たとえばリディアン・ヴォーンが高校時代、グイ・ルンメイを見つめながらダンスするシーンがあります。グイ・ルンメイは彼がダンスをすることをまったく知りませんでした。また大学時代、彼らは別れることになるのですが、グイ・ルンメイはジョセフ・チャンの手に彼女の役名を書き、さらに(ジョセフ・チャンが演じた)陳忠良の名前を書きます。実はジョセフ・チャンは撮影前、グイ・ルンメイが自分の手に何を書くのか知りませんでした。撮影の段階になって、ようやく(グイ・ルンメイが演じた)林美宝と陳忠良の名前だと分かります。これはジョセフ・チャンにとても大きな驚きと感動をもたらしました。この驚きと感動こそが、真実の描写につながりました。これは「GF*BF」を撮影する時に、私がよく用いた手法でした。

 ――実際に起きた出来事、事件を作品に取り入れるのはなぜですか。

 私は常々、実際の文化や時空を背景とするストーリーでなければ、感情や力強さに欠けると思っています。だからこそ文化的背景をリアルに描くことが非常に重要です。私が意図したことは、台湾のこの30年の社会変化を背景に、人々の感情のストーリーを展開することでした。この映画の物語は約30年にわたります。30年間の感情の変化は、台湾の人たちの世界観や感情の表し方と密接な関係があります。保守的な時代から混沌とした90年代に入ると、感情のとらえ方に変化が生まれました。今、私たちは愛情、感情、友情に対して少しずつェ容になり、理解を示すようになってきました。

 その変化はこの映画にとって、非常に重要な要素です。3人の間の感情の変化についていえば、無知で無分別な少年時代から、大学時代、青年時代にはやや激しい感情へと移り変わり、最後には皆が互いの感情に理解を示し、寛容になっていきます。こうした流れはとても重要だと思います。私はその流れを表現するため、実際の歴史的事件を映画で取り上げることにしたのです。台湾における30年の変化は、まさに私たちの感情表現の変化だと言えます。

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 ――劇中の音楽について教えて下さい。

 音楽はすべてジョン・シンミン(鍾興民)さんにお願いしました。彼は台湾ポップスにおいてとても重要な編曲家で、彼が編曲した曲は(台湾の音楽賞)金曲奨を数多く受賞しています。私のデビュー作も彼に音楽をお願いしました。2作目ですから互いに理解しています。私たちは「映画音楽という形式にとらわれず、文化を表現したい」と話しました。

 台湾独特の文化を背景にしている映画なので、挿入歌には北京語の曲や台湾語の曲、さらには日本の歌も使っています。多様な音楽を選んだのは、台湾が文化の混ざり合った場所だからです。日本の植民地だった時代もあり、中華圏でありながらかなり西洋化されていて、音楽のスタイルも西洋的です。台湾語を話しますが北京語の歌も聴きます。だから台湾はほかの華人コミュニティーとは少し違い、さまざまな文化や伝統が混ざっていることを、言葉で説明するのではなく、音楽を通じて感じてもらいたいと思いました。

 主人公の成長段階――高校、大学、大人になってからと分類し、それぞれの時期の人物の気持ちに合わせて選曲しました。高校時代は荒削り。若さを感じるガレージロック調のもの。時代は1980年代ですが、現代らしさを感じられる、少し荒っぽい感じのロックです。大学時代はクールで少し冷めた感じの曲。ストーリーに合わせてのことです。大人になってからは、逆に叙情的なものを選びました。

 ジョンさんはとても面白い人で、音楽のイメージを語る時、私たち一般人よりも深遠で哲学的な言葉を使います。たとえば「苦海女神龍」の作業をした時のことです。私たちが選曲した後、ジョンさんが編曲したのですが、彼は映像を見て「この歌は青色にしないとね」と言いました。「どういうことですか?」と尋ねると、彼は「プールサイドにグイ・ルンメイが座り、プールの水が青色。そばにいる人が『苦海女神龍』を歌うと、まるで漂流しているような感覚だ」と言うのです。

 昔、おそらく50年くらい前に日本で作られた曲ですが、彼は米国のロードムービーで用いられるようなギターだけの伴奏にしたのです。日本の歌を米国のギタリストが演奏し、台湾の伝統芸能である歌仔戲(台湾オペラ)の女性シンガーが歌うことで、歌が持つ味わいをまったく新しいものに変えてしまいました。録音したばかりの曲を聴いてみると、確かにジョンさんが言った通り、青色のイメージでした。

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 ――ご自身が学生運動に参加したことはありますか。

 私は学生時代、あまり先生の言うことを聞かない生徒でした。私が学校に通っていた頃、台湾には戒厳令が敷かれていました。台湾社会が自由を得るため、変化しようとしている様子を見てきました。でも私自身が学生運動に参加した経験は、さほど多くありません。中心になって参加するのではなく、傍らで見ているタイプ。壇上で話すようなことはありませんでした。

 後に社会に出て、仕事を始めてから少しずつさまざまな意見に触れ、(社会運動に)参加する回数が増え、支援するだけでなく自ら声を上げ、人々に呼びかけるようになりました。ただ、私自身は運動そのものには比較的冷静に取り組んでいて、すべての情熱を注ぎ込むことはありませんでした。これは恋愛にも当てはまります。自分のすべてを注ぎ込んだものの、後になって後悔したり、信じていたものが実は違っていた、と気づくかもしれないでしょう? やはり私には、冷めたところがあるのだと思います。

 ――「ひまわり学生運動」についてどう思われますか。

 映画が公開されてから、こんなに早く再び学生運動が起きるとは思ってもいませんでした。撮る前に社会にストレスが大きくなってきているとは感じていました。学生運動に限らず、何か闘争が増えるのではないか、と懸念していたのです。ひまわり学生運動が起きた20日間余り、私もしばしば現場へ行って映画を上映したり、学生や市民と話しました。上映活動を通じていろいろな人と出会い、あの場所で起きたことを目の当たりにしました。実際の人生は芝居よりもすごいし、芝居は実際の人生を映し出す鏡のようだと思いました。

 たとえば、ある女子学生が学生運動の現場で電話をしながら泣いていました。「ボーイフレンドに二股をかけられた」とケンカしていたのです。その姿を見た時、彼女の境遇は林美宝とまったく同じだと感じました。林美宝が沈黙を選んだのに対し、彼女は大声で口論することを選んだわけです。また、ゲイ向けの出会い系アプリで「ある警官が自分との出会いを求めていると知った」という男子学生もいました。実に面白いと思いました。

 今回の学生運動に参加した人々が、この映画のように当初の志を忘れてしまわないよう願っています。今の情熱、街で闘争に参加した理由を記憶にとどめておいてほしい。そうすることで、台湾はさらによくなっていくに違いないと思うからです。

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 ――影響を受けた映画監督は誰でしょう。

 その時によって回答は違ってきます。質問を聞いて私が思い出したのは国際的な大監督ではなく、最初に一緒に仕事をしたイー・ツーイェン(易智言)監督でした。グイ・ルンメイのデビュー映画「藍色夏恋」(02)の監督です。彼との付き合いは長く、もう10年以上。彼が頭に浮かんだ理由は、グイ・ルンメイが出ているからです。

 私はあまり専門的な訓練を受けたことがありません。映画の見方もほかの監督とは違っていて、たいていただ鑑賞しているような感じ。作品を深く分析することもありません。イー・ツーイェン監督からは、撮影技術だけではなく、映画を製作する姿勢、仕事に対する姿勢、慎重で真摯な態度など、たくさんのことを教わりました。監督はとても大きな責任を負っている、ということも。

 彼とよくお酒を飲みに出かけました。カラオケも好きで、特に「自在」という曲を好んで歌っていました。彼から受けた影響の中で特に大きなものは「映画を撮る時は自在であれ」というアドバイスです。「厳格と自在の間でバランスが取れるように」と。映画の撮影や創作活動を行う時、自分が自在でリラックスしていれば、できあがった作品は形にしばられることなく、ロマンチックな雰囲気を醸すものとなります。それでこそ創作であり、本当の自在だというのです。仕事に対する姿勢という点で、イー・ツーイェン監督からは多くの影響を受けました。

 ――監督にとって家族とは。

 家族は面白い団体です。まず愛を育み、家庭を作り、その後に子供が生まれることもあります。家庭を作ることは、単に血縁関係を作ることではありません。血がつながりにかかわらず、多くの場合は友情をベースにしたパートナーを作ることなのです。家庭は絶えず変化する概念であり、特に台湾人においてその傾向は顕著です。私にとって家族という概念は、伝統的な一夫一婦のみではありません。では、夫婦以外ではどんな人たちが家庭を作ることができるのでしょうか。

 台湾では多くの人が、多様な家族像を主張しています。同性愛者であれ、異性愛者であれ、また愛情で結ばれていなくても家族を作ることができます。私なりの言葉で表現するならば、すべての感情の合体なのです。他人だった個々の人間が2人、3人、4人と集まって一つの家族を作る。家庭を築くにはきっとさまざまな出来事が起き、苦労を伴うこともあるでしょう。友情が発展して家庭を作ったり、パートナーとして家族になったりすることもあるかもしれません。

 だから家族は私にとって、人生で最も不思議な団体なのです。まず何らかの感情……それは愛とは限りませんが、互いの感情が結びついて、別の人、別のグループと同じ屋根の下で暮らそうと望むからです。同じ屋根の下に暮らし、互いの気持ちや生活の細々したことを共有する。だから家族は感情を集めた一つの団体といえるのです。昔の台湾における家庭は、そこから逃げ出したいけれど、捨てられない場所でもありました。これからの家庭は愛があって、家族が一緒に過ごす場所になるでしょう。

 ――台湾での公開時、マスコミや観客から受けた印象的な反応を教えて下さい。

 上映期間中、監督は映画館へ行って座談会やサイン会を行います。ある日の遅い回でのことです。一人の観客がサインを求めてきたのですが、ひと言も言葉を発することなく、私に「ありがとう」と書いたメモを差し出してきました。背が高く、ハンサムな男子学生でした。彼が泣いているように見えたので、私は言葉を交わしませんでした。メモを見た時、彼が何に礼を言っているのか分からなかったのですが、あの時泣きながら映画館を出て行った観客は、おそらく映画の中に自分の姿を見つけたのだと思います。映画は鏡のように、見る人の人生を映し出しますからね。

 台湾の観客であればきっと、陳忠良の言葉に反応するのではないでしょうか。彼はスーパーマーケットに行った時、林美宝に言います。「鏡を見たんだ。惨めな顔だった」(=原語の「裡外不是人」は「内からも外からも人でなし(と憎まれる)」という慣用句。何かしてあげても、誰も満足してくれない時などに使う)と。つまり精神的に耐えられない状態でした。

 若い男女が反応するだけでなく、50歳くらいの男性も映画を見た後、黙ったまま私の手を握りしめ、「登場人物の気持ちがよく分かる」と言ってくれました。これはとても印象深い出来事でした。この映画は、確かに多くの人たちの心の中にある、一種のやりきれない気持ちを映し出しています。人は皆、心に何らかの弱さを持っているものです。

 もう一つ印象深いことと言えば「ひまわり学生運動」です。現場に行って初めて分かったのですが、多くの学生がこの映画を見て学生運動に参加したようです。かといって、この作品が偉大な力を持っているわけではありません。彼らの心の中には社会に対する熱い思いがあったのに、それを表に出す機会がなかっただけなのです。私は映画に描かれた時代が観客を感動させ、街に繰り出させることになるとは思ってもいませんでした。また映画を見たという学生は、私に「もうすぐ卒業するのですが、自分も(リディアン・ヴォーン演じた)王心仁のようになってしまうのではないか、と心配です」と語っていました。

 ――最後に日本の観客にメッセージをお願いします。

 この映画のとても重要なテーマは、すべての人が自由を求めること、自分の感情と心を自由にすることです。私は台湾の学生運動の歴史に関する書籍以外に、日本の安保闘争時代の小説を何冊も読みました。村上春樹や村上龍など、多くの日本の作家が学生運動の様子を描いています。闘争のテーマは台湾とは違いますが、日本の小説で描かれた学生運動と青春群像は、随分前の時代のことではありますが、私に大きな啓発を与えてくれました。

 「GF*BF」が描くのは単なる一つの事件ではありません。私は「青春の解釈」という点で、日本の小説に大きく影響されました。この映画をご覧になった皆さんには、日本の小説が私に与えた影響を感じてもらえるのではないでしょうか。日本では長い間、大きな運動が起きていません。社会に対して冷ややかになり、政治に失望しているため、社会問題に無関心になったからだとされています。観客の皆さんには、この映画からパワーを得て、自分の心や人生が本当に自由なのか、見つめ直してほしい。皆さんの心や愛が自由になるよう願っています。

(文・遠海安)

「GF*BF」(2012年、台湾、原題:女朋友。男朋友)

監督:ヤン・ヤーチェ
出演:グイ・ルンメイ(桂綸[金美])、ジョセフ・チャン(張孝全)、リディアン・ヴォーン(鳳小岳)

2014年6月7日(土)、シネマート六本木、シネマート心斎橋ほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.pm-movie.com/gfbf/

作品写真:(c)2012 Atom Cinema Co.,Ltd., Ocean Deep Films, Central Motion Picture Corporation, Huayi Brothers International Media All Rights Reserved.
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2014年05月21日

蔡明亮監督&李康生、「郊遊 JiaoYou」公開イベントで来月来日へ 渋谷で16日ファンと交流

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 2013年ベネチア国際映画祭の審査員大賞受賞作「郊遊 JiaoYou」(14)を最後に引退を表明した台湾のツァイ・ミンリャン(蔡明亮)監督と、その全作品に出演してきた俳優リー・カンション(李康生)が6月16日、東京・渋谷で開かれる特別イベントに参加する。

 8月下旬の「郊遊 JiaoYou」日本公開を記念したもの。イベントではツァイ監督の代表作「河」(97)の特別上映、観客との質疑応答、サイン会、特別ゲストとのトークショーなどが予定されている。「河」はすでに日本での上映権が切れており、DVD化もされていない作品。監督、主演の二人が参加しての特別上映は、映画ファンにとって貴重な機会になりそうだ。

 ツァイ監督は1957年、マレーシア生まれ。77年に台湾に移り、91年に「青春神話」で長編監督デビュー。第2作「愛情萬歳」(94)がベネチア国際映画祭金獅子賞(最高賞)を獲得。「河」、「Hole」、「西瓜」などで独自の世界を表現し、台湾を代表する映画監督の一人となった。リーは「青春神話」から「郊遊 JiaoYou」までツァイ監督の全作品に出演。監督の盟友として、20年にわたり創作活動を支えてきた。

 今回の来日イベントは6月16日(月)午後7時から午後10時半、渋谷シアター・イメージフォーラムで開催。特別ゲストは後日発表される。

(文・遠海安)
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2014年03月21日

「GF*BF」、6月7日日本公開決定 台湾激動の27年、友情と葛藤に重ね

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 台湾の青春映画「GF*BF」が、6月7日に日本公開されることが決まった。

 「Orzボーイズ!」のヤン・ヤーチェ(楊雅[吉吉])監督最新作。「言えない秘密」のグイ・ルンメイ(桂綸[金美])、「花蓮の夏」のジョセフ・チャン(張孝全)、「モンガに散る」のリディアン・ヴォーン(鳳小岳)の若手俳優3人が主演している。時代は1985〜2012年の27年。男女3人の友情と恋愛、葛藤を、戒厳令解除から民主化へ動いた台湾社会の激動に重ねて描く。

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 台湾では12年8月に公開。台湾最大の映画賞「第49回台湾金馬奨」でグイ・ルンメイが最優秀主演女優賞を獲得した。日本では昨年の第8回大阪アジアン映画祭、第4回アジアンクィア映画祭で早々にチケットが完売し、好評を博していた。

 また、台湾では現在、中台間のサービス分野の市場開放を進める「サービス貿易協定」をめぐり、学生らによる抗議活動が過熱。民主化運動を取り上げた「GF*BF」が3月23日、再上映されることも決まっている。

(文・遠海安)

「GF*BF(原題:女朋友。男朋友)」(2012年、台湾)

監督:ヤン・ヤーチェ
出演:グイ・ルンメイ、ジョセフ・チャン、リディアン・ヴォーン、チャン・シューハオ

2014年6月7日(土)よりシネマート六本木ほかで全国順次公開。

作品写真:(c) 2012 Atom Cinema Co.,Ltd., Ocean Deep Films, Central Motion Picture Corporation, Huayi Brothers International Media All Rights Reserved.

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2014年02月07日

「光にふれる」 盲目の音楽青年とダンサーの卵 音と光で広がる世界 台湾発青春映画の佳作

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 盲目の青年ピアニストとダンサーを夢見る少女の交流を描いた「光にふれる」。実在の台湾人ピアニスト、ホアン・ユィシアン(黄裕翔)が、自身の半生を自ら演じた青春映画だ。

 生まれつき目が見えないユィシアン。台湾中部・台中の田舎町で、花き栽培に携わる両親、幼い妹と暮らしていた。小さいころから耳がよく、ピアノの才能も抜群。台北の音楽大学進学が決まり、一人暮らしを始めることが決まった。

 一方、台北ではシャオジエ(サンドリーナ・ピンナ)が、バイトをしながらダンサーへの夢を膨らませていた。しかし、母からは反対され、恋人ともうまくいかない。いつしか踊りからも離れるようになってしまう。何もかもうまくいかず、不安につぶされそうな毎日だった。

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 大学の寮に入ったユィシアンは、ルームメイトら仲間たちに支えられ、新生活をスタートさせる。サークル活動も始め、人間関係も徐々に広がっていく。そんなある日。車の多い交差点を渡っていたユィシアンを、通りかかったシャオジエが助ける。

 目の見えないユィシアンに「車は怖くない?」と聞くシャオジエ。「それでも自分を試したい」と答えるユィシアン。逆に「実現できない夢はある?」と問い返すと、シャオジエは思わず「ダンスがしたい。踊っている時は、生きている実感がある」と打ち明ける。

 まったく共通点のなかった二人。その日を境に徐々に距離を縮めていく。音楽とダンス。目指す先は違っても、思い描く夢は同じだ。二人は自分と向き合い、未来へ新たな一歩を踏み出す──。

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 監督は今回が初長編のチャン・ロンジー(張栄吉)。本作のもとになった短編がウォン・カーウァイ(王家衛)監督の目に止まり、企画がスタートした。ユィシアンはプロのピアニスト。来日コンサートも開くなど幅広く活動している。

 ユィシアンの母にベテラン女優リー・リエ(李烈)、ダンス講師役で台湾を代表するダンサーの一人、ファンイー・シュウ(許芳宜)が出演。シャオジエ役のピンナは4カ月のダンス・レッスンを受けて撮影に臨んだという。

 若い二人が困難を乗り越え、芸術の夢へ歩き出す。ピアノの音色とダンスの躍動感が、若さをそのまま体現している。台湾の美しい風景、みずみずしい映像も手伝い、後味爽やかで心洗われる。台北映画祭、釜山国際映画祭などで観客賞を受賞した。
 
(文・遠海安)

「光にふれる」(2012年、台湾・香港・中国)

監督:チャン・ロンジー(張栄吉)
出演:ホアン・ユィシアン(黄裕翔)、サンドリーナ・ピンナ(張榕容)、リー・リエ(李烈)、ファンイー・シュウ(許芳宜)

2014年2月8日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマート新宿ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://hikari-fureru.jp/

作品写真:(C)2012 Block 2 Pictures Inc. All rights reserved.

タグ:レビュー
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2014年01月03日

「ピクニック(仮題)」ツァイ・ミンリャン監督に聞く アジア映画の今(2) 引退宣言の真意 「作品を美術館で展示する。映画を観る概念変えたい」

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 ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)は、本当に映画製作をやめるのか。今後どこへ向かうのか。昨秋、ベネチア国際映画祭での突然の引退発表。新年連続インタビュー「アジア映画の今」第2回は、台湾のツァイ監督に話を聞いた。

 1957年、マレーシア生まれ。77年に台湾へ移住し、台北の中国文化大学で映画・演劇を専攻。92年、「青春神話」で映画監督デビュー。続く第2作「愛情萬歳」(94)がベネチア国際映画祭最高賞の金獅子賞、第3作「河」(96)がベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞するなど、世界で高く評価されてきた。

 最新作でベネチア審査員大賞を獲得した「ピクニック(仮題)」は、ツァイ監督の集大成といえる作品。“盟友”の俳優リー・カンション(李康生)を中心に、監督独自の手法を極限まで進めている。引退宣言について「神に命令されたらどうなるか分からない」と含みを残しつつ、「今後は作品を美術館で展示したい。映画を観る概念を変えたい」と意欲を示した。

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 一問一答は次の通り。

「変わらない映画産業のシステム。疲れと嫌気を感じた」

 ──まずは引退表明について聞きたい。

 「映画を撮ることは、神に定められた運命だ」と思ってきた。それが私に1本1本撮らせてきた。10本撮った。もういいのではないか。自分が十分納得のいくものが撮れている。ピクニックを撮り終え、「これで十分だ」と感じた。

 私はほかの監督と異なる創作をしてきた。まずお金にならない。娯楽要素がまったくない。そんな作品を撮り続けてきたにもかかわらず、毎回撮り終えるたびに、次の資金がなんとなく湧いてきた。神の采配としか考えられなかった。

 私の映画は世界中で公開されているが、配給する人たちの気が知れない(笑)。(日本で配給が決まった)「ピクニック」も含めて不思議だ。神が各国の人たちに啓示を与えているのではないか。

 実は体を壊して、撮影に疲れを感じていた。固定観念にしばられた映画産業のシステムに、体調が悪くても応じていかなければならない。それに嫌気が差してきた。10本撮っても何の変革もないシステム。それに疲れてきたことが、大きな理由でもある。

 ただ、神様がもし私に命令を下されたら、どうなるか分からない(笑)。今は少し休みたい。今後は映画ではなく、映像表現をしたい。たとえば美術館と組む方法だ。発表するのは映画ではないかもしれない。もっと自由にできるから。

 ──美術館では作品が届く対象が限定されるのでは。

 いや、逆に多くなる。考えてみてほしい。ヒットしない映画なら、数日の上映で終わってしまう。美術館の企画は最低2カ月。映像を「展示」することで、観客の概念をひっくり返せる。たとえばストーリーを売らない。形式を拒否する。スターを起用しない。

 過去にスターの起用も考えたこともあるが、(ツァイ作品の常連俳優)リー・カンション(李康生)とは絶対に離れられない(笑)。スターを見たいなら別の映画でどうぞ。私の作品を見なくてもいいでしょう。

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「美術館で作品を“展示”したい。映画を観る概念を変えられる」

 ──引退についてリーと何を話したか。

 別に何も。意思表示をしなかった。ははは。彼も最初は俳優として、ほかの映画でいろいろな役を演じたいと思ったようだ。たとえば殺人犯とか。でも徐々に「あまりふさわしくない気がする」と言い始めた。年齢を重ねて、私の映画で演じることが重要だと思ってくれるようになった。

 (ツァイ作品の常連)女優3人(ヤン・クイメイ、ルー・イーチン、チェン・シャンチー)も、私の作品ではほかの作品と違う態度で臨んでくれる。私の映画世界を理解しているんだ。

 ──デジタル化が進み誰でも撮れて、誰でもインターネットで見られる時代。美術館で上映する理由は、現場で体験することが重要と考えるからか。

 美術館の文化的な雰囲気に包まれ、じっくり作品を見てほしい。装置としての美術作品だ。どう言おうか……映画を観る概念を変えられる。ネットで見る角度、位置より、美術館では可能性が大きいと思う。

 映画産業の変革が可能になるだろう。「ピクニック」は来年8月、台湾の美術館で展示上映される。映画産業のシステムにとらわれない、新しい配給の方法だ。チケットを売るため、賞レースに絡めて作ることも必要ない。簡単に言えば、映画を作品として観ることになる。映画館ではあくまで映画は商品。大きく異なる。

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「私はいつもあせっていた。短編を撮りながら、あせりを捨てる学習をしている」

 ──映画監督と芸術家。心の中で自分をどう位置付けているのか。

 私が決めたことではないが、他人は私を芸術家という(笑)。台湾に限って言えば、私は映画界より美術界で認められている。映画界には私の作品を認めようとしない風潮がある。

 (前作の)「ヴィサージュ」(09)のDVDは発売していない。テレビに版権も売っていない。DVDを私が売るなら、10枚限定、1枚100万台湾ドル(約350万円)にしたい(笑)。コレクターに限定で。ある画廊が代理で交渉しているが、今までに4人から申し込みがあった。これならコレクターが版権を持ち、美術館などで上映できる。観客は増えていく。従来のDVD販売では、道端で1枚30台湾ドル(約105円)で売られるのが落ちだ。

 ──映画に対する決別ではなく、継続的に考えてきたことなのか。

 過去2、3本は「もう撮らない。もういやだ」と言い続け、プロデューサーがとても困っていた。ずっと考えていたことなんだ。短編を取るのはとても好き。今はシャオカン(リーの愛称)が、ただ歩くだけの映像を撮っている。シリーズとして6本目に入った。

 短編を撮ることで、私は学習している。映画を撮る時、私はいつもあせっていた。うまくとれないのではないか。誰も見てくれないのではないか。配給が難しいのではないか。そんなつらい思いをしてきたが、短編を撮ることで、それらを捨て去る学習をしている。

 仮にピカソのような画家が、ある場所で絵を描こうとする。イーゼルを立てた時、彼はあせるだろうか? あせらないだろう。落ち着いて、描きたいものを描くだろう。映画撮影はなぜあせりを招いてしまうのか。私はあせりを捨てたいんだ。

 ──映画以外に文章、絵画など別の表現方法をとるつもりはあるか。

 寝た後で目が覚めた時、何もしなくていいような、頭が空っぽの状態でありたい。すべての創作は自分から生まれる。ふとした瞬間に湧き上がり、作品として戻ってくるものだ。「何かしなければならない」と考えると、創作はできなくなる。

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「シャオカンは速度についての概念を変えた。演技を捨て去った演技だ」

 ──映画の中で建築、社会学的な考察を取り入れていると感じる。そんな自分を客観視した時、どう見えるのだろうか。

 映画には映画の美学が常にある。私の作品でストーリーは重要ではない。画面の中にすべてがある。時間があり、空間がある。すなわち私の映画の美学だ。だから単一のアングルで対象に向き合い、そこに力を置いてきた。光、空間、長さに気を使ってきた。

 ──リー・カンションは監督にとってどんな存在か。

 ははははは。すべては「ピクニック」を撮るためにあった。シャオカンは、映画に対する観念を一新してくれた。彼は気付いていないけれど、僕の速度についての観念を変えてくれたんだ。

 「ピクニック」を撮るに至り、映画の固定観念など、いろいろなものを捨てられるようになった。物語、台詞、音楽。映画の持つさまざまな固定された形式を捨てた。すべての焦点を、リー・カンションの顔のアップにあてた。

 彼の顔は、時間の観念だ。ある物体が被写体になり、それを撮る。彼の顔に浮かび上がる時間。私は20年かけて撮ることができた。彼の演技は、演技を捨て去った演技だ。彼は20年間キャベツを食べ続けた。それが「ピクニック」の、(キャベツを食べる)あのシーンに凝縮されている。

(文・写真 遠海安)

作品写真:東京フィルメックス事務局提供

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