2014年06月27日

「収容病棟」ワン・ビン監督に聞く 中国精神病院に密着 「心を病んだ人々の人間的な愛描きたかった」

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 精神病患者が1億人を超えるとされる中国。その精神病院にカメラが入った。記録されたのは社会から見放されてもなお愛を求めてやまない、実に人間的な人々の姿だ。「無言歌」(10)、「三姉妹 雲南の子」(12)のワン・ビン(王兵)監督が、社会のタブーに踏み込み、人間の本性をつかみ出したドキュメンタリー映画「収容病棟」。監督は「精神を病んだ人たち同士の人間的な愛を表現したかった」と語った。

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“生きているか死んでいるか”なんてどうでもいい

 精神病院をテーマにドキュメンタリーを撮ろうと思い立ったのは2003年。北京郊外の精神病院を訪れた時だった。精神病患者に会ったのは初めて。20年も30年も入院している患者がいることを知り、衝撃を受けた。

 「さっそく撮影を申し入れたが断られた。09年まで何度も訪れたが、結局撮影許可は下りなかった」

 最後に訪れた時、何人かの患者が姿を消していることに気付く。看護師に尋ねると「亡くなった」という。

 「看護師たちは、私がそんな質問をしたことに驚いていた。それまでそんなことを聞いてくる人はいなかったからだ。入院している患者たちは家族に見捨てられた人たちが多かった。だから“生きているか死んでいるか”なんてどうでもいいことだった」

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歩いてくる患者を巧みによけながら撮影

 北京の病院は断念。しかし3年後の12年、吉報が舞い込む。ある友人が雲南省の精神病院で撮影許可を取ってくれたのだ。撮影には一切制限もなく、自由にカメラを回していいという。さっそく準備を整え、数カ月後には撮影開始。問題は精神病院という閉鎖的な空間で、独自の撮影スタイルが保てるかだった。
 
 「ほどよい距離を保ちながら撮るのが私のスタイル。あまり近付き過ぎるのは好きではない。しかし、病院は空間が非常に限られていた。廊下は回廊状で、幅は1メートルくらいしかない。画面では広く見えるかもしれないが、とても狭い。カメラを回すと誰かにぶつかる。最初の10日くらいは、自分の好きではない近距離で撮らざるを得ないこともあった。しかし、15日目くらいからは、歩いてくる人を巧みによけて撮る方法を習得し、いつものスタイルで撮れるようになった」

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 撮影は順調に進んだ。患者からの妨害や抵抗もほとんどなかった。

 「一度だけカメラマンが顔を殴られた。患者が発作を起こしたのだ。彼は2、3日たってから謝りにきてくれた。以来、彼とはいい関係を保つことができた。撮影中のアクシデントはその1回だけ」

精神病患者とはいえない人も収容

 カメラを回している以外の時間は、廊下に座って患者たちと話をすることも多かった。

 「よくタバコをねだられた。私のことを“タバコをくれる人”とみていたようだ(笑)。お茶や日用品を求められたこともある。彼らは、病院内で起きたことを話してくれた」

 タイトルの「収容病棟」は、なんとなく暗く非人間的なものを感じさせるが、患者たちには明るく人なつこい人も少なくない。

 「この映画を撮影するまでは、精神病院や患者の実態についてほとんど知らなかった。撮影に入って毎日患者たちと一緒に過ごすと、一人ひとりの性格や病状が、少しずつ把握できるようになった。彼らが入ってきた理由、家庭環境もだんだん分かってきた」

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 多種多様な人々が収容されていた。中には精神病患者とはいえない人もいた。

 「ある若い男性は“少し頑なで、他人とちょっと違う”という理由だけで収容されていた。そういう人たちを見ていると、自分たちもいつ同じようにこういう病院に閉じ込められるか分からないと思う」

社会から見放されても愛を求めてやまない人々

 終盤に印象的なラブシーンがある。鉄格子越しに男性と女性の患者が抱き合いキスをする。逆光の中に浮かび上がるシルエットが美しい。

 「女性は一人っ子政策に違反して病になった。二人が恋愛関係にあることは、いろいろな人から話を聞いて知っていた。二人のシーンはかなり撮ったが、最もシンプルなシーンだけを編集段階で残した。あれは春節の大みそかから元日にかけて。逆光なのはあの場所にトイレがあり、人がくると電気がつくようになっているせい。あそこに行けば逆光で撮れることは分かっていた。二人はもっと直接的な触れ合いもしていたが、撮影するのは遠慮した」

 作品の原題は「瘋愛」。瘋の意味は「狂った」だ。「精神を病んだ人たち同士の人間的な愛をタイトルで表現したかった」そうだが、“鉄格子越しの愛”は、象徴的なシーンだろう。

 社会から見放されてもなお、愛を求めてやまない人々。「収容病棟」は、そんな人々の日常をありのままに切り取った渾身のドキュメンタリーだ。前・後編合わせて4時間の長尺。しかし、濃密な映像からは一瞬たりとも目を離すことができない。ワン・ビン監督の面目躍如である。

(文・写真 沢宮亘理)

「収容病棟」(2013年、香港・仏・日本)

監督:王兵(ワン・ビン)

2014年6月28日(土)、シアター・イメージフォーラムほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://moviola.jp/shuuyou/

作品写真:(c)Wang Bing and Y. Production

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2014年06月05日

「ポリス・ストーリー レジェンド」 ジャッキー最新作、還暦の新境地 演技派脱皮へ一歩

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 ジャッキー・チェン最新作「ポリス・ストーリー レジェンド」が、2014年6月6日公開される。大ヒットシリーズ最新作で通算6作目。中国・北京のバーで立てこもり事件が起き、ジャッキー演じる刑事が孤軍奮闘の末に解決する。

 冬の北京。ベテラン刑事のジョン(ジャッキー・チェン)は、一人娘のミャオ(ジン・ティエン)に会うため、巨大なナイトクラブを訪れる。半年ぶりに再会した父と娘。ところが店内でトラブルが発生し、仲裁に入ったジョンは殴られ気を失う。目が覚めるとクラブの建物は封鎖され、父娘を含む十数人を人質に立てこもり事件が起きていた。

 黒幕はミャオの恋人でクラブを経営するウー(リウ・イエ)だった。なぜジョン父娘が狙われたのか。ウーの過去に何があったのか。そこには長年に渡り、綿密に仕組まれた復讐計画が隠されていた──。

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 アジアが生んだスーパースター、ジャッキー・チェンも還暦を迎えた。30年前に始まった「ポリス・ストーリー」シリーズは、今も人気の代表作だ。ジャッキー演じる警官が、派手なアクションで敵を倒していく。香港で生まれた勧善懲悪の物語は、今回初めて中国に舞台を移した。

 過去のシリーズと異なり、コミカルな演出は減り、重厚な心理劇の色彩が濃くなった。冒頭でジャッキーが涙をにじませ、銃口をこめかみにあてる。犯人とは密室で交渉が進む。真相につながる事実を小出しで見せつつ、息詰まるやり取りで観客を引っ張っていく。

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 香港からハリウッドへ、さらに中国へ。アジアのトップスターとして、常に第一線で戦ってきたジャッキー。アクションスターから演技派へ、事あるごとに「脱皮願望」を口にしているが、今回の作品もその延長線上にあるのだろう。

 本人は「現場でアクションが増えた。だまされたよ」と嘆いたという。「動けるジャッキー」を望む観客の願いには、最大限に応えている。常に自分を高め、トップを走り続けながら、たどり着いた新境地だ。

(文・遠海安)

「ポリス・ストーリー レジェンド」(2013年、中国)

監督:ディン・シェン
出演:ジャッキー・チェン、リウ・イエ、ジン・ティエン、グーリー・ナーザー、リュウ・ハイロン

2014年6月6日(金)、TOHOシネマズみゆき座ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.policestory-legend.com/

作品写真:(c)2013 Jackie & JJ Productions Limited, Wanda Media Company Limited and Starlit HK International Media Company Limited All rights reserved
タグ:レビュー
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2014年06月01日

「罪の手ざわり」ジャ・ジャンクー監督に聞く 中国社会に潜む暴力 「正面から向き合うべきだ」

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 中国ジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の新作映画「罪の手ざわり」が2014年5月31日公開される。中国で実際に起きた四つの暴力事件を題材に、社会を揺さぶる急激な変化、人々の心にひそむ闇をあぶり出し、昨年のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した。日本公開を前に来日した監督は「なぜ彼らは追い詰められたのか。暴力に正面から向き合わなければ、暴力はなくならない」と語った。

 ──暴力をテーマの中心にすえた理由は。

 中国でここ数年、暴力事件が起きることが気になっていた。ツイッターなどインターネットを通じてニュースが次々入ってくる。まず考えたのは「昔から暴力事件はあったのに、新しいメディアのせいで増えたように感じるのだろうか」だった。考えこんでしまった。

 中国の映画業界では、暴力を撮ることがあまり歓迎されない。暴力と社会は非常に密接に関係しているので、国は喜ばないんだ。ただ現状を前に、私は暴力に向き合い、思考してみたかった。

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 中国ではネットだけでなく新聞やテレビでももちろん暴力事件は報道される。ただ、マスメディアのニュースだけでは何かが足りない。事件については報道されるが、背景に何があり、個人がなぜ追い詰められ、こんなことが起きるに至ったのか。プライベートに関することは外されて報道されるのが普通だからだ。

 私もほかの人々同様、暴力がなぜ起きるかはよく分かっていなかった。情報を集め、脚本を書き、撮影する過程を通じ、彼らが追い詰められた状況を想像する中で、リアルな理由に近づいていけたと思う。それが映画を撮る過程でもあった。暴力に正面から向き合わなければ、暴力はなくならないと思う。

 ──劇中登場するトラックに聖母マリア像が描かれていた。地方での宗教の現状について教えてほしい。

 作品にはマリア像以外にも、いくつか宗教的なものを散りばめた。中国では政治的、歴史的な理由で信仰が中断され、断たれたと感じている。社会にある信仰に対する断絶感、欠落感を意識した。私自身は特定の宗教を信じていない。だがここ数年、宗教に注目してきた。信仰は「人間としてあるべき姿」を守ってくれている気がする。「人々は平等でなければならない」など、信仰で支えられているものは多いと思う。

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 ──取り上げた事件を四つに決めた理由は。

 (中国の現状を表す)四つの面がはっきり見えるものを選んだ。一つ目のエピソードは明らかに社会問題が理由の暴力。二つ目は田舎町で自我を実現できない困難と貧困。「この街にいても面白くない」という言葉が根底になった事件だ。それも暴力の一つの側面だと思った。

 三つ目の女性の話は、他人に自分の尊厳を傷つけられ、はぎとられた人間が、どんな反応を起こすか。人間の尊厳がテーマ。最後は人が自滅する話。暴力の方向性がほかの三つと違う。目に見えず分かりにくい暴力だ。エピソードは北から南へつないでいった。都市に受け入れられず、機械化された人間。感情的に孤立する人間。中国のどこでも起きうる事件だと思う。

 (劇中描かれた労働者の自殺について)一番印象的だったのは、彼らが流動していく姿だった。中国の工場で働く人たちは昔、国営企業で福利厚生も手厚く、退職金もきちんとあった。工場と人間がつながっていた。今は人は1日ごとに入れ替わり、いなくなればすぐ補充される。工場に働く若者が帰属感を持てない。彼らがさすらう、落ち着かない気持ちがよく分かった。

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 工場は高度に自動化、分業化されている。労働者はすべての製造過程を知らなくてもいい。中国にはかつて「工人」という言葉があった。技術者に近いニュアンスだったが、今ではアルバイトに近い感覚。「労働者」とも異なる気がする。

 ──監督は「20代以降の若い世代が繊細で、過敏になっている」と感じるそうだが、彼らが社会の中心的存在になった時、中国はどう変わると思うか。

 私より若い世代が社会の中心になった時、非常に重要な変化が起きていると信じたい。若者は今、自我と状況のギャップに苦しんでいる。自分の置かれた状況を自覚できるかどうか。彼らが客観的に自我と状況を見られるようになった時、中国の社会ももっと自由になると思う。

 もちろん自由でありたいのなら、自我が独立することが重要だ。それは若い世代に限らず、中国全体にいえることだ。中国を文化として見ることが必要だ。

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 ──変化は急激に訪れると思うか。

 ゆっくりだと思う。今の若い子の中には、中年よりずっと保守的な子、ずっと頑固な子もいる。そう早くは変わらないだろう。「文化大革命の時代が良かった。貧富の差もなく、今よりいいじゃないか」という子もいる。ちょっと短絡的かもしれないね。

 ──中国国内では上映禁止になったと聞いた。中国の検閲制度が、表現の自由、映画芸術に歩み寄る兆しはあるか。作る側が検閲を切り抜ける技術を会得しているのか。

 作り手として不可解に感じる部分もあるけれど、もの作りに対する当局の姿勢は前進したと思う。作り手には当局と交渉する技術はない。経験を積めばうまくなるものでもない。

 国家からみれば、私たち個人は非常に小さな存在だ。比較にならない。ものを作る自由を私は尊重したいし、創作の自由を意識の中から捨てたくない。意志力といおうか。それだけだ。ほかの方法はない。

 この問題については、言葉で説明するのが最善と思えない。一番望ましいのは、自分の作品の中に、自分の欲する自由を反映させること。作り続ければ市民も国も見てくれる。それで私の主張が伝わると思う。

 ──(新人俳優の)ルオ・ランシャンの起用の理由と、キャリアの浅い俳優を演出する際に注意していることは。

 初めて会った時、彼は長沙の大学で演技を勉強していた。彼がどう演技するかより、私が彼を観察することが大事だと思った。彼の中から若者が持つ自我を引き出せればいいな、と思って起用した。彼を緊張させず、自然にせりふを言ってもらうよう気を付けた。

 昔、溝口健二監督が俳優にこう言ったと聞いた。「あなたが相手に対して“反射”して下さい」と。「反射」という単語を聞いた時、「自分のことは忘れて、相手のことを聞け」と言っているんだな、と思った。相手があっての反応だ。一人芝居ではない。それを彼に言うことで、演技がうまくなるような気がした。

 ──特定の宗教は信じていないというが、原題の「天注定」の「天」は何だと理解しているか。

 中国語で「天注定」は微妙なニュアンスを持つ。一つは宿命。悲観的、消極的な意味だ。もう一つは「天に与えられたもの」。その言葉のもとに、自分の尊厳のため戦ったり、権力者に立ち向かったり、正義のために前進したり。そういう人たちのための言葉でもある。「水滸伝」の中にもそんな話が出てくる。

 天は万物の神、大自然と言おうか。私はいつも言う。暴力で暴力を制するのはいけない。それは分かっている。ただ「天に与えられたもの」として、暴力ではあるかもしれないが、人が抗おうとする行為は尊重したい。私にとっての「抗い」は、映画を撮ることだ。

(文・遠海安)

「罪の手ざわり」(2013年、中国)

監督:ジャ・ジャンクー(賈樟柯)
出演:出演:チャオ・タオ(趙濤)、チァン・ウー(姜武)、ワン・バオチャン(王宝強)、ルオ・ランシャン(羅藍山)

2014年5月31日(土)、Bunkamura ル・シネマほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.bitters.co.jp/tumi/

作品写真:(C)2013 BANDAI VISUAL, BITTERS END, OFFICE KITANO
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2014年05月16日

「黒四角」 日中つなぐ永遠の恋 70年の時空越え 奥原浩志監督、初の合作作品

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 空飛ぶ黒い物体。忽然と現れる裸の男。奥原浩志監督の新作「黒四角」は、のっけから荒唐無稽な展開で、見るものをギョッとさせる。リアルな日常を淡々と描いた「タイムレス・メロディ」(99)や「青い車」(04)など、従来のスタイルからは考えられない監督の新境地である。

 北京郊外の芸術家村。画家のチャオピンは、ある画廊で一点の絵画に目を奪われる。全面真っ黒に塗られた、「黒四角」というタイトルの抽象画。翌日、チャオピンは、その絵がそのまま飛び出したかのような、黒い四角の板が空を飛んで行くのを目撃し、後を追う。黒い板は地面に着陸して屹(きつ)立。しばらくすると、そこから全裸の男が現われる――。

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 シュールな映像に思わず身構える。いったいこれから何が起こるのか? だが直後の展開に波乱はない。チャオピンは裸の男に衣服を与え、自宅へ連れ帰る。裸の男もチャオピンの好意を受け入れ、“こちら”の世界にすんなり溶け込んでしまう。

 チャオピンは男を「黒四角」と名付ける。黒四角は日本人で、過去の記憶をなくしていた。そんな黒四角に、チャオピンはなぜか懐かしげな感情を抱く。やがて黒四角はチャオピンの妹リーホワと恋愛関係になる。

 急展開はここから。ある日、黒四角はリーホワの前から突然姿を消してしまう。黒四角にしか見えない一人の日本兵に誘われるように、黒い板を通って“あちら”の世界へと戻ってしまうのだ。

 そこは70年前、日中戦争の時代。黒四角は日本軍の衛生兵として中国人の女を治療する。リーホワはこの女の生まれ変わり、チャオピンは女の兄の生まれ変わりなのだろう。つまり、3人は戦時中に出会っていた。兄妹が「黒四角」に懐かしさを覚えたのは、そのためだ。黒四角とリーホワは前世でも愛し合っていた。

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 70年の時を超える恋の物語。“あちら”と“こちら”を行き来しながら抒情を醸し出す手法は、ロマン主義的でもある。「聊斎志異」など中国怪異譚のムードも漂う。しかし甘いだけ、妖しいだけの物語ではない。中盤からは戦争を背景に死の影が濃厚となり、前半のイメージにも影響してくる。監督は仏教的な輪廻の世界を描こうとしたのかもしれない。

 監督初の日中合作映画。日中戦争というデリケートなテーマを扱っているため、中国での公開が未定なのは残念だ。製作過程でも困難に見舞われたようだが、完成された作品を見る限り、結果的に日中のコラボレーションは大成功ではないか。「黒四角」を演じた中泉英雄が、中国人俳優たちと見事なアンサンブルを見せている。

(文・沢宮亘理)

「黒四角」(2012年、日本・中国)

監督:奥原浩志
出演:中泉英雄、ダン・ホン、チェン・シーシュウ、鈴木美妃

2014年5月17日(土)、新宿K’s cinemaほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.u-picc.com/black_square/


作品写真:(C) 2012 Black Square Film Gootime Cultural Communication Co., Ltd
タグ:レビュー
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2014年04月03日

「罪の手ざわり」ジャ・ジャンクー監督来日会見 “四つの事件”で切る中国 「映画は人の心つなぐ」

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 2013年の第66回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した中国映画「罪の手ざわり」のジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督と出演女優のチャオ・タオ(趙濤)が4月2日、東京都内で記者会見した。中国で実際に起きた四つの事件をモチーフに、激変する社会のきしみをあぶり出す作品。ジャ監督の来日は「四川のうた」(08)以来5年ぶり。「映画は人と人の心をつなぐことができると思う」と語った。

 中国の山西省、重慶市、湖北省、広東省で起きた殺人、強盗、自殺などの事件をもとに、四つのエピソードでつないで描く。登場するのはいずれも経済成長と社会変化の波にもまれ、もがきながら生きる人々。ジャ監督は「中国では経済が急速に成長したため、出稼ぎなどで人が絶えず動きながら生きている。移動が作品の大きな要素だ。初めて手持ちカメラを使い、漂泊感を出した。(作品で語られる)四つの個人の悲劇だが、観る人は自分のこととして受け止められるのではないか」と話した。

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 すべてのエピソードに共通するのが「暴力」の存在だ。ジャ監督は「中国の映画界では長年、暴力を語ることが許されなかった。だから語ってみたかった」と動機を説明。「貧富の差、精神的な貧困、孤独、人間の尊厳などに触れつつ、撮影をしながら暴力を理解していった。暴力はどこから来るのか。事件に対する法的な結論はさておき、別の方法でとらえたかった。人としての本質が表れるものだと感じた」と述べた。

 さらに、カンヌ映画祭での受賞後、世界40カ国以上で配給が決まったことに対し、インターネットの影響力の大きさを指摘。「世の中は変わり続けている。人と人のつながり方もネットの出現で変わった。私も(中国の短文投稿サイト)『微博(ウェイボー)』の力を利用した。映画は人々が共通の問題を意識できる手段。人と人の心をつなぐことができると思う」と話した。

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 また、中国の若い世代について「地方からの出稼ぎ者の場合、故郷を出る漂泊感がある。さらに都市では単純な労働力とみなされ、上を目指そうとしても抑えられる。二重の漂泊感で帰属意識を得られない。それが目に見えない、暴力的な何かを生むのではないか」と分析していた。

(文・写真 遠海安)

「罪の手ざわり」(2013年、中国)

監督:ジャ・ジャンクー(賈樟柯)
出演:チャオ・タオ(趙濤)、チァン・ウー(姜武)、ワン・バオチャン(王宝強)、ルオ・ランシャン(羅藍山)

2014年5月31日(土)、Bunkamuraル・シネマほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.bitters.co.jp/tumi/

作品写真:(C)2013 BANDAI VISUAL, BITTERS END, OFFICE KITANO

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