2016年12月07日

映画祭を振り返る(2)混迷する釜山映画祭 求心力を取り戻せるか、正常化への道遠く

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 2016年10月6日から15日まで、10日間にわたり開かれた韓国の釜山国際映画祭。上映作品数は69カ国・地域の299本で昨年並みだったが、観客数は16万5149人と昨年を6万人以上も下回った。接待や金品授受を厳しく規制する法律(通称「金英蘭法」)の施行や開幕式前日に釜山地域を襲った台風も動員に影響した可能性があるが、最大の原因は韓国の映画人のボイコットだろう。釜山映画祭はこの2年間、「表現の自由」と「独立性」をめぐってスポンサーの釜山市と対立してきた。今年は開催こそしたものの、映画人の不満はいまだ解消されていない。

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 今月に入り、釜山映画祭に対する政府や行政の圧力に青瓦台(大統領府)が関与したことをにおわせる証拠の存在が明らかになった。朴槿恵(パク・クネ)大統領の友人による国政介入疑惑で社会が大きく揺れるなか、表現者の危機感はいっそう強まっている。

「独立性」訴える映画人
 映画祭期間中の週末、韓国独立映画協会が主催する「独立映画人の夜」に出向いた。前執行委員長のイ・ヨングァン氏を支援する集いだ。スピーチに立ったキム・ドンホ理事長は「独立映画が死ねば韓国映画は死ぬ」と力強く訴えた。

 メーン会場「映画の殿堂」の1階ロビーには、イ氏と釜山映画祭を支援する映画人たちのメッセージが展示されていた。「表現の自由のために」と書かれた手書きのボードを持つパク・チャヌク監督をはじめ、多くの監督や俳優が参加している。台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督、日本の黒沢清監督や是枝裕和監督も自筆のメッセージを掲げていた。愛着のある映画祭を守ってほしいという思いが伝わる。

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釜山市との対立
 映画祭と市の対立の発端は2014年。旅客船セウォル号の沈没事故をめぐる政府の対応を批判したドキュメンタリー「ダイビング・ベル」の上映だった。事前に組織委員長であるソ・ビョンス釜山市長が「政治的偏向がある」として上映中止を求めたが、映画祭側は要請をはねつけた。政治的・社会的規制にしばられないことをモットーとしてきた映画祭としては当然の決定だった。しかし映画祭の終了後、釜山市は不正経理を理由にイ・ヨングァン執行委員長に辞任を勧告した。

 映画祭側は執行委員長の2人体制を提案し、国際的にも知名度が高い女優のカン・スヨン氏を新執行委員長に迎えて翌15年の映画祭をなんとか終えた。だが市側のイ委員長への圧力は激しさを増し、年末には業務上横領での告発に踏み切る。これに猛反発した映画人らが映画祭ボイコットを宣言する事態となった。

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 映画祭の中断を避けるための模索が続いた。執行委員会と組織委員会は、民間の理事会に運営を移管し、映画祭の定款を改正することで合意。今年の映画祭の開催が正式に決定したのは5月だった。理事長に就任したのは、政界や行政に太いパイプがあり映画関係者からの信頼も厚い初代執行委員長のキム・ドンホ氏。改正された定款には「作品選定は執行委員長とプログラマーの権限」との項目が盛り込まれ、キム理事長は「自立性と独立性を100%保障するもの」と胸を張った。

 それでも、すべてが解決したわけではなかった。映画関連9団体でつくる映画団体連帯会議が映画祭参加の可否を問う投票を行ったところ、ボイコット派とボイコット撤回派が同数(1団体は保留)となり、参加は個々の判断に委ねられた。ボイコット撤回派は作品発表の場であることを重視し、ボイコット派はイ・ヨングァン氏の名誉回復と市の謝罪が参加の前提だと主張したという。

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 オープニングのレッドカーペットに韓国人監督や俳優の姿が少なかったのは、こうした経緯からだ。例年は身動きできないほど混雑するカメラマン席には比較的余裕があり、レッドカーペットイベントも拍子抜けするほど早く終了。映画祭の独立性を訴えるメッセージボードを掲げていたのは俳優キム・ウィソンだけだった。抗議の意思をもつ多くの映画人が、晴れの舞台を拒絶したのだろう。

 映画祭の波乱を映し出すかのように、開幕前日の朝には台風18号が釜山地域を襲った。スターを目当てに一般客が詰めかける海辺の舞台が大破し、イベント会場は急きょ「映画の殿堂」の野外スペースに移動した。

 行政からの補助金が減った上に企業スポンサーも減り、一般客が楽しめるイベントは激減。さらに金英蘭法の影響で、韓国4大映画会社のパーティーは軒並み中止となった。映画祭の華となるイベントの縮小や中止で、お祭りムードが冷え込んだことは否めない。

有罪判決に反発強まる
 10月26日、釜山地方裁判所でイ・ヨングァン氏の判決公判が開かれた。俳優ユ・ジテやキム・ウィソンも駆けつけ傍聴席は支援者で埋まったが、下された判決は懲役6カ月、執行猶予2年という予想外のものだった。ともに起訴された元副執行委員長や事務局長も有罪判決を受けた。

 映画誌「シネ21」によると、判決理由は「イ氏が2750万ウォン(約248万円)をケーブルチャンネル業者に提供し映画祭に損害を与えた」というもの。裁判所は「決済に直接かかわっていなかった」とするイ氏側の主張を退けたが、担当弁護士は「私的流用ではなく、すでに補てんされている」と反論。イ氏はただちに控訴した。

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 イ氏はキム・ドンホ氏らとともに釜山映画祭をアジア最大級の規模に育てた初代スタッフの一員。筆者は昨年の映画祭で、執行委員長だったイ氏と共同通信社のインタビューに通訳として同席した。答えにくい質問もあったはずだが、イ氏はひとつひとつの質問に丁寧に答えた。立花珠樹記者の記事(http://www.47news.jp/47topics/tsutaeru/post_20160617135016.html)にあるとおり、彼は「大学教授として30年間、学生を教えてきた。自分が(映画祭の)独立性を守れなければ学生に言う言葉がない」と静かに、しかしきっぱりと言った。その姿がいまも印象に残っている。

「民主化前に逆戻り」の危機感
 今年の韓国映画のラインアップに政治的なテーマの作品がほとんどなかったのは自主規制による結果ではないのか。昨年まで積極的に招待していた中国映画の数が日本映画より少なかったのは中韓関係の冷え込みを反映したためではないのか。韓国国内ではこうした憶測も飛び交っている。

 1996年に産声をあげた釜山映画祭がアジア最大級と言われるまでに成長した要因は、まさに規制に縛られず多様な映画を受け入れてきたことにある。なんといっても日本大衆文化の解禁以前から日本映画を紹介し、政治的・社会的理由で一般公開が困難とされる映画も上映してきた映画祭なのだ。今年は調整役としてキム・ドンホ氏が再登板し開催にこぎつけたが、映画人の間にはその対応に満足していない雰囲気もある。

 12月2日、韓国のメディア業界の労働組合「全国言論労働組合」は釜山映画祭への圧力の背後に青瓦台があったことを示す資料として、2014年に青瓦台に勤務していた幹部のメモを公開した。釜山日報によるとメモには「ダイビング・ベル」の関係者や映画祭関係者の名前、映画祭への補助金の額などが記されていた。青瓦台の関与はある程度予想されていたとはいえ、やはり衝撃的だ。政治不信は極限まで膨らみ、来年以降の釜山映画祭の形はまったく見えてこない。

(文・写真 芳賀恵)

写真
1:キム・ドンホ理事長(右)とカン・スヨン執行委員長(今年10月)
2:レッドカーペットでメッセージを掲げる俳優キム・ウィソン
3:「映画の殿堂」に展示された監督や俳優のメッセージ
4:パク・チャヌク監督
5:是枝裕和監督
6:黒沢清監督
7:ポン・ジュノ監督(上)、イム・スルレ監督(下)
8:侯孝賢監督
9:ゲストを迎えるイ・ヨングァン前執行委員長(右、昨年10月)
10:イ氏を支援するステッカー


posted by 映画の森 at 09:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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