2016年10月26日

「彷徨える河」先住民の視点でアマゾン描く 艶めかしいモノクロ映像

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 アマゾン先住民の生き残りである呪術師のカラマカテを、白人探検家二人が時を隔てて訪ねる。共通項は“ヤクルナ”という植物だ。20世紀初頭にやってきたドイツ人民族学者のテオは、探検中に重い病気を患い、治療薬としてヤクルナを切実に欲している。一方、数十年後に訪れた米国人植物学者のエヴァンは学問的興味からこの植物を探している。

 青年のカラマカテは白人を疎ましく思っている。理由は言うまでもない。15世紀末から始まったスペイン人による侵略、虐殺によって、部族がほぼ絶滅させられたからだ。それでも案内を引き受けたのは「悪意のない病人を救いたい」という、ごく人間的な感情からだったろうか。ともあれ若きカラマカテは、ヤクルナを求めてテオを乗せたカヌーを漕ぎ出すのである。

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 これまでアマゾンを描いてきた映画は、白人=侵略者、先住民=被害者という図式を前面に打ち出すか、反撃する先住民の恐ろしさを強調した作品が多かったように思う。共通するのは白人の目からアマゾンを描いている点だ。

 「彷徨える河」がユニークなのは、あくまで先住民の視点からアマゾンを描き出そうとしている点だ。主人公は2つの異なる時間を生きるカラマカテであり、白人探検家ではない。

 白人教祖を崇めるカルト教団。厳しい規律を押し付け、子供たちに体罰を加える神父。白人の経営するゴム工場で働く先住民。川をさかのぼる旅の途中で遭遇するこれらの人々も、探検家のフィルターを通さず、カラマカテが目にするアマゾンの現実として描かれている。

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 監督のシーロ・ゲーラは、国土の半分をアマゾンが覆うコロンビアで生まれ育った。にもかかわらず、アマゾンについて知らないことがあまりにも多いことに気づき、撮影を思い立ったそうである。

 時間を隔てた二つの物語が交錯して展開するのは「一つの人生や一つの経験が、複数の人間を通して生き続けている」という先住民の考え方に基づく。幻覚めいた映像は、おそらく主人公であるカラマカテのビジョンであろう。

 熱帯植物の生い茂るジャングル。ぬめぬめとした体をうねらす大蛇。ギラギラと目を光らせるジャガー。アマゾンの深部をとらえたモノクロ映像が何とも艶(なま)めかしい。

(文・沢宮亘理)

「彷徨える河」(2015年、コロンビア・ベネズエラ・アルゼンチン)

監督:シーロ・ゲーラ
出演:ヤン・ベイヴート、ブリオン・デイビス、アントニオ・ボリバル・サルバドール、ニルビオ・トーレス

201610月29日(土)、シアター・イメージフォーラムほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://samayoerukawa.com/

作品写真:(c)Ciudad Lunar Producciones
タグ:レビュー
posted by 映画の森 at 08:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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