2013年12月03日

第14回東京フィルメックス 中村登監督 生誕100年記念特集 「松竹に新しい波」 息子が語る撮影秘話

「父、中村登を語る」中村好夫氏.jpg

 第14回東京フィルメックスの企画「中村登監督 生誕100年記念特集上映」で、トークイベント「父、中村登を語る」が11月27日東京都内で行われ、監督の息子の中村好夫氏が参加した。中村氏は父の思い出や撮影秘話を明かし、「松竹映画の伝統の中、新しい波を起こした」と語った。

細かいカットつなぎ 小気味よく語る

 1941年にデビューし、81年に亡くなるまで監督作品83本を残した中村監督。“松竹大船調”と呼ばれる小市民映画で知られ、今回上映された「我が家は楽し」(51)は代表的な1本だ。笠智衆、山田五十鈴、高峰秀子、佐田啓二、同作でデビューした岸恵子。豪華キャストでサラリーマン家庭の悲喜こもごもをテンポよく描く。

 「ホームドラマの手本と言われた作品。テレビなら13話で撮っても不思議ではない内容を、90分にまとめている」と中村氏。「細かいカットつなぎで、小気味よくストーリーを語る」のが中村流だったという。

 一方、「土砂降り」(57)は、訳ありな家庭で育った娘が、結婚話の破談で運命を狂わせ、悲惨な結末を迎えるメロドラマ。岡田茉莉子が悲劇のヒロインを好演している。

 「東宝時代は作品に恵まれなかった岡田茉莉子を、父は『素晴らしい役者』だと評価していた」そうだ。「集金旅行」(57)、「日日の背信」(58)、「河口」(61)と続く中村作品で、異なる役を鮮やかに演じ分けた岡田。中村監督は俳優を見る目も確かだったようだ。

 どんなジャンルも手堅くこなす職人肌の中村監督は、ときに「器用貧乏」と皮肉られたが、「アンチ中村の映画評論家からも『集金旅行』は“喜劇映画の傑作だ”と称賛されました」

松竹の伝統の中 新しい波起こした

 今年のベネチア国際映画祭クラシック部門で上映され激賞された「夜の片鱗」(64)。中村作品か、と驚くほど斬新な映像があふれている。

 当時は大島渚や岡田喜重ら、松竹ヌーベルバーグの監督たちが新時代を切り開こうとしていた。「父はこの動きを十分に意識し、松竹映画の伝統の中で、何か新しい波が起こせないかと模索していました」

 同作品で中村監督は、「恋文裁判」(51)以降しばしばコンビを組んだ東宝の名脚本家、井手俊郎を起用。編集はやはり名手の浦岡敬一が担当し、作品に新鮮な息吹を吹き込んだ。脚本のクレジットは「権藤利英」だが、東宝所属の井手俊郎が本名を出せず使っていたペンネームだそうだ。

松竹映画のようにアットホームな家庭ではなかった

 「父の撮影現場にはすべて立ち会った」という中村氏。今だから語れる映画界の裏話にも及んだ。松竹の二枚看板だった岡田茉莉子と有馬稲子が、互いをライバルとして意識し、火花を散らいたこと。相手より後にスタジオ入りするため「付き人が偵察し合っていた」という裏話には、場内からどっと爆笑が起きた。

 また、監督の生真面目な性格を示すエピソードも披露。「ロケで隠し撮りしている時、大声で『隠し撮り、用意スタート』とやった」(笑)

 「最盛期には年3本撮っていた」という中村監督。ほとんど家におらず、家庭のことは妻任せだったという。仕事の虫で「脚本の決定稿が完成した後も、余白にびっしり書き込みがしてあった」。映画に捧げた人生で、中村氏は「松竹映画のようにアットホームな家庭ではありませんでした」と振り返った。

 最後に阪神タイガースの協力で撮った「栄光への道」(50)に触れ、初代“ミスター・タイガース”の藤村富美男選手が使った長尺のサイン入りバットを披露。イベントを締めくくった。

 「中村登監督 生誕100年記念特集」は2013年12月6日まで、ヒューマントラストシネマ有楽町でレイトショー。

(文・写真 沢宮亘理)

posted by 映画の森 at 15:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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