2013年09月23日

“釜山映画祭の父”キム・ドンホ氏 初監督作「JURY」を語る 「映画は夢。監督や俳優は上映を夢見、観客は作品世界にひたる」

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 韓国の釜山国際映画祭が10月3日に開幕する。今年18回目を迎えアジア屈指のイベントとなったこの映画祭の成長の陰には、「釜山映画祭の父」と呼ばれるキム・ドンホ前執行委員長の存在がある。2010年の第15回を最後に映画祭運営の現場からは退いたが、76歳の今も政府の諮問機関や大学で文化事業に携わる。そのキム氏が今月、映画監督として札幌国際短編映画祭を訪れた。初監督作に込めた映画への思い、釜山映画祭の成長の原動力について話を聞いた。

「映画は夢」
 キム氏は15年間の執行委員長在任中に世界各地の国際映画祭に足を運び、コンペティション部門の審査委員長も17回つとめた。札幌短編映画祭にも07年に審査委員長として訪れている。今回の来日の目的は、初めてメガホンを取った短編映画「JURY(審査員、原題)」の上映だ。

 「JURY」は昨年の韓国・アシアナ国際短編映画祭のオープニング作品。映画祭の審査にまつわるエピソードをユーモアたっぷりに描く。審査員たちが「良い映画とは何か」を熱く語り合い、あげく取っ組み合いのけんかに発展するシーンは笑いを誘う。審査員に扮するのはアン・ソンギ、カン・スヨンらベテラン俳優のほか、キム氏が海外の映画祭で親交を深めた外国人2人。うち一人は東京の映画団体・イメージフォーラム代表の富山加津江氏だ。ストーリーの中核をなす主役級の登場人物である。キム氏は語る。

 「アシアナ国際短編映画祭側から、審査員をテーマに短編を撮ってほしいと依頼を受けた。多くの映画祭で審査をした経験があったので、そのテーマならできるだろうと大胆にも引き受けた。富山さんに出演を依頼したのは彼女のキャラクターや表情が印象的だからだ。彼女は演技者ではないが、ベテラン俳優に囲まれて自然な芝居をしてくれた。欧米の審査会は英語で行われることが多い。見たところ、日本の審査員の皆さんは英語が得意ではない人が多いようだったが、私も英語が苦手なので審査会でストレスを感じる。その思いを富山さんに託した。終盤、彼女が日本語で『映画は夢です』と訴えるが、その台詞は私の思いをそのまま日本語にしたものだ。映画は夢。監督や俳優にとっては自身の映画が上映されることが夢であり、観客にとっては映画の(作品)世界にひたることが夢だ」

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 「JURY」はぜいたくなキャストやスタッフが話題となった。編集は「シルミド SILMIDO」のカン・ウソク監督で、撮影や照明も韓国映画界の大ベテランが担当した。ヤン・イクチュンやキム・コッピといった韓国インディペンデント映画界のスターのほか、巨匠イム・グォンテク監督まで登場。全員がボランティアでの参加である。

 「イム・グォンテク監督の作品に私が特別出演した時は出番もせりふも多かった。ところが『JURY』では、イム監督は朝から待機していたにもかかわらず出番はラストシーンで階段を降りてくる数秒間だけ。私が次回イム監督からオファーを受ける時は、きっと通行人役だろう(笑)。『JURY』は一流のスタッフたちのおかげでできた。私の映画というよりも、韓国映画界全体で作った作品といえる」

 おだやかな語り口とユーモア感覚が魅力的なキム氏。多くの人が映画作りに手弁当で協力したことをみても、その人柄がうかがえる。

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釜山映画祭との15年間
 「釜山映画祭は、韓国政府が日本の大衆文化を開放する前から日本映画を数多く紹介してきた。日韓の文化交流の門を開くのに、映画祭は大きな役割を果たしたと思う」。

 韓国政府が日本大衆文化の段階的開放をスタートしたのは1998年。それまで日本映画の一般上映は禁じられていたが、96年に始まった釜山映画祭は日本映画を積極的に上映した。第1回にはドキュメンタリー3本を含む13本が招待された。塚本晋也監督の「東京フィスト」や和泉聖治監督の「お日柄もよくご愁傷さま」、篠崎誠監督のデビュー作「おかえり」などはすぐにチケットが完売。立ち見も出る盛況ぶりだったと当時の新聞は伝えている。

 キム氏はソウル大学卒業後、文化公報省に入省し文化行政に長く携わった。88年、政府が映画産業育成のために設立した映画振興公社(現・映画振興委員会)の社長に就任し、映画産業と縁を結ぶ。

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 「92年、イタリアのペーザロ映画祭で韓国映画特別展が開催された。ここに招かれた若手評論家3人が『ペーザロのように小さくても権威ある映画祭を作りたい』と相談してきたことが、映画祭を始めるきっかけとなった。当時は韓国映画が海外の映画祭にようやく招待され始めたころで、世界にもっと広めたいという思いがあった。戦略を明確にするため、アジア圏の映画を中心にすることを決めた。アジア各国の新人監督の新鮮な映画を上映し、人材を育成することに目標を定めた」

 そのころの釜山では「映画産業を発展させよう」という機運が高まっていた。熱意ある若手映画人と行政に太い人脈を持つキム氏の出会いが、釜山という土壌で映画祭に結実した。30カ国・地域の174作品から始まった釜山映画祭は、いまや70カ国以上、300本以上の映画が集まる巨大イベントとなった。成長の要因は何だろうか。

 「第1に、政府や自治体の支援だ。釜山映画祭は市の助成金が事業費の半分を占める。さらに政府の助成金やスポンサーの協力が運営を支えている。次に多くの観客を集められるプログラムだ。この2つの要素がなければここまで大きくはならなかっただろう。また、釜山映画祭はアジアの若手監督の企画を審査、製作資金を助成するプログラムPPP(プサン・プロモーション・プラン、現APM=アジア・プロジェクト・マーケット)をスタート当初から続けてきた。韓国以外の監督にも支援することが、映画の国際的な交流において大きな意味をもつ」

 映画にかかわるすべての人の夢が実現する場所として、釜山映画祭を育て見守ってきたキム氏。韓流ブームが一段落し日韓関係が冷え込む今こそ、地に足のついた文化交流を長く続けてきた経験は生かされるべきだろう。

(文・写真 芳賀恵)

「JURY」(2012年、24分)
監督:キム・ドンホ
出演:アン・ソンギ、カン・スヨンほか

キム・ドンホ(金東虎)1937年韓国江原道生まれ。文化公報省の官僚から88年に映画振興公社社長に就任し、映画と出会う。釜山国際映画祭スタート時のメンバーで、第1回(96年)から第15回(10年)まで組織委員会執行委員長。退任後も公職を歴任し、壇国大学映画コンテンツ専門大学院院長のほか、今年スタートした朴槿恵(パク・クネ)大統領直属の諮問委員会、文化隆盛委員会の委員長にも就任。

写真1:キム・ドンホ氏=札幌市で9月11日
写真1:「JURY」上映会の舞台あいさつ(右はホン・ヒョスクプロデューサー)=札幌・シアターキノで同日
写真2:シアターキノ館内の壁に書かれたサイン=同
写真3:「JURY」場面写真
posted by 映画の森 at 07:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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