2013年05月18日

コラム<アジア電影放浪録> 韓国民主化運動弾圧・光州事件から33年 レビュー「光州5・18」再掲載 生き残った罪悪感 「どうか私たちを忘れないで下さい」

photo151880.jpg

 韓国の民主化運動弾圧・光州事件(1980年5月18日)から33年。コラム「アジア電影放浪録」第2回は、2008年に日本公開された「光州5・18」レビュー(同年掲載)を改めてご紹介します。全羅南道・光州市で軍が市民や学生に発砲し、200人以上が犠牲になった悲惨な事件。韓国在住の筆者が、デモの中にいたあの日を振り返りました。 

×××××

 1980年5月18日。光州市民にとって忘れられないあの日、予備校生だった私もデモの中にいた。平和的に行進する市民に向け、軍は無差別に銃を発射した。(全羅南道)道庁に立てこもり、最後まで戦い抜いた“市民軍”の仲間たちを、なぜ助けることができなかったのか。生き残った光州の人々は、今も罪悪感と自責の念から逃れられずにいる。「光州5・18」に映し出される28年前の惨状。胸の底から熱気が湧き出し、軍に対する怒りでぶるぶると体が震えるのだ。

 映画「華麗なる休暇(邦題:光州5・18)」。私は「これについて書いてくれ」と、編集部の映画担当記者に依頼されるまでこの映画を見ないでいた。1980年のつらい記憶と、その歴史的瞬間を映画に虚構化することに対しての違和感があったからか。いくら評判のよい映画でも、当時の惨状をそのまま描くことはできない。かえって脚色によりその意味が後退する場合もある。それを恐れていたのかもしれない。

 しかし、10日間にわたった光州市民の闘いを生々しく描いた映画を見て、当時が思い出され、胸の底から湧いてくる熱気と、鎮圧軍の暴圧に対する立腹に体がぶるぶる震えた。何より「光州市民の皆さん、どうか私たちを忘れないで下さい。忘れないで下さい」という最後の絶叫は、私の心を再び刺激した。しみじみと胸に罪責の念がこみあげてきた。

 その叫び声は、先頭に立って積極的に闘いながら道庁で死んでいった市民軍と、そこに加われずに傍観していた一般人の間に存在する距離を指し示す。どうしてあなたは生きているのか。なぜ市民軍を救出できなかったのか、という問いに、苦しみと罪悪感を覚えない市民はいないはずだ。多くの市民がデモに参加したが、道庁を守るため最後まで残った烈士は少数であったからである。

 したがって「光州市民の皆さん、どうか私たちを忘れないで下さい」という言葉には、胸が裂けるような思いがする。そのセリフは、死んだ人に対する申し訳なさ、生きる者としての苦痛を物語るもので、彼らこそ真の光州市民であったことを意味するからだ。最後の絶叫に、今生きる者の卑怯さや惰弱さを容赦なく告発するメッセージを読み取ることができるのである。

photo151872.jpg

 映画「華麗なる休暇」は、あくまでフィクションだ。タクシー運転手のミヌ(キム・サンギョン)と高校生のジヌ(イ・ジュンギ)は、幼い時に父母を亡くし、兄弟二人で平凡な日常を過ごしている。ミヌは兄として、成績優秀な弟のジヌだけを信じ彼に愛情を注ぐが、ジヌの通う聖堂で会った看護婦・シネ(イ・ヨウォン)を見初め、関心を示さずにはいられない。ミヌは彼女にどう求愛するか悩む。こうした光景は、当時市民がいかに平和な日常に置かれていたかを物語る。

 その日常が、デモ鎮圧軍の市民への暴行と殺戮(りく)で破壊される。友達や家族の犠牲を目撃した人々は市民軍になり、軍の部隊と激戦を展開していく。彼らは、ミヌの上司でシネの父である退役将校のフンス(アン・ソンギ)を中心に、10日間の死闘に身を投じ、最後まで道庁を死守しようとする。しかし、軍の相手にはならず、犠牲になるのである。

 キム・ジフン監督の話によると、ジヌは当時犠牲になった中学生をモデルにしたそうだが、映画に登場する人物が実在したかどうかや、具体的なエピソードは事実として確認されていない。男女の愛をメロドラマのように描き、観客に同情を呼び起こすところや、ギャグマンのような人物二人を登場させ、見る者の興味をそそり、映画に面白味を加えている点などを意識すれば、正しく作り話である。映画に対する肯定的見解も多いが、一方否定的な評価があるのは、重要な歴史的な事実を虚構的に伝えることへの違和感に起因するともいえよう。

 しかし、春の並木道をのんびり運転しながら、平和な日常を楽しんでいたミヌが、作戦名「華麗なる休暇」で投入された部隊に立ち向かっていく過程は、当時を連想させるに十分なものである。友達の死でデモに参加するジヌ、鎮圧軍の銃弾にジヌを亡くし、市民軍に変貌するミヌは、実際の光州市民の姿である。

 市民の平和的なデモ行進は、目の前で私たちの友達や家族が軍にこん棒で叩かれ、銃に撃たれた瞬間、激化した。国歌を歌う非武装の市民に発砲する軍に、抵抗しない者がいるだろうか。光州市民は国を守る軍のため税金を払っていた。それなのに、軍が民主主義を叫ぶ自分たちに銃を発射するとは、夢にも思っていなかっただろう。どうしてただ黙っていられようか。

photo151886.jpg

 告白すると私は、28年前の当時、大学入試のため浪人していた。高校の時に理系を選択したが、入試に失敗して予備校に通っていたのである。自宅は光州柳洞にあったが、「戒厳軍が家宅捜査をし、若い青年をすべて連れて行く」という噂が広がっていた。それで時々昼に市内のデモに参加し、夜には自宅に身を隠したことを思い出す。

 市民が道庁前に集まり、軍が銃を発射した時にも、私はそこにいた。連射される銃の音に驚き、皆と一緒に必死に逃げ去った記憶が蘇る。そのときの様子は映画の場面と変わらない。市民の一人がバスに乗って軍に突進する場面や、民衆の闘いぶりは1980年の現実をそのまま再現するものと受け取れた。

 その後、私は事件の犠牲者を慰霊する「国立5・18民主墓地」での行事に参加したことがあるが、目の前に催涙弾が落とされ、その場で気絶した。警察がこん棒を持って後ろから攻めてきたが、気を失うと彼らは通り過ぎたので、私は危機から逃れた。いま振り返ると、なぜ警察に捕まらなかったか分からない。弱々しく見えたので助かったのかもしれない。

 デマもひどかった。「慶尚道の軍人が光州市民を抹殺しようとする」とか「光州駅前で慶尚道からきたトラックが火に焼かれている」という話が聞こえてきた時は、何が事実か判断することができなかった。今思えば、それは光州を外部から遮断し、孤立させようとした軍の戦略であったような気がする。

 市内バスは止まり、電話も不通になった。光州に入る道路や橋は戒厳軍に封鎖され、外部の人々に連絡をとることも、援助してもらうこともできなかった。何より軍部の支配下にあったマスコミが、自発的な市民運動を「北朝鮮スパイの扇動による反乱」であるかのごとく伝えたことに、激しい怒りを覚えた。民主主義と平凡な日常を取り戻すため闘う市民の名誉を汚す報道であったからだ。

 スクリーンに映る恐怖や緊迫感、軍人の残忍極まりない武力行使、市民が嘆息し激怒する場面、そして民主化運動の展開の過程は、そっくり当時を映し出しているように見える。ただ、光州市民が孤立状態の中、いかに偉大なる市民精神を発揮し助け合い、一心に団結したか。彼らの美しい姿が十分に描かれていないのは残念だった。

 海苔巻きを作り、青年や市民軍に配る女性たちや、不足した品物を交換し合うのはもちろん、負傷者を助けるため献血する市民の行列などは画面に映っていない。思い返せば市民が憤然と立ち上がったのは、軍部独裁政権を打倒するためではなかった。私たちの父母、兄弟、同僚が軍の暴力に制圧され、犠牲になる現場を見て、我慢できず蜂起したわけである。

 最初のころ「全斗煥(チョン・ドファン)は引き下がれ」などの掛け声はそれほど広まっておらず、大学生中心のデモだった。軍の過剰な鎮圧が市民の家族愛、兄弟愛を刺激したのである。市民の共同体意識がいかに強く、不正と闘う意志がどれほど決然としていたか、強調するまでもない。映画は犠牲者らの苦痛と死を描くことには成功したかもしれないが、光州市民の成熟した市民意識を、ありのまま描写することには限界があった。

 とはいえ、当時の光州をこれほど生き生きと再現した作品は、かつてなかった。「武器を捨て、降伏しろ」と軍に言われるが、「光州市民は暴徒ではない」と叫び、死んでいく主人公・ミヌは、まさに光州の男であった。そしてまぼろしの結婚式のシーンで、死んだすべての登場人物はみな笑っているのに、ただ一人生き残り、寂しそうな表情をしている新婦・シネはまさしく光州の娘である。

 なぜシネはまぼろしの結婚式で、悲しみを表現せずにはいられないのだろうか。ここには大事な意味が刻まれている。当時現場で民主化運動を経験し、生き残った人間の中で、自分を恥じる気持ちを覚えない人はあまりいないと思う。残忍な戒厳軍が最後の作戦を繰り広げ、市民軍が守っていた道庁を攻めてきた5月27日、市民は「市民軍が死んでいく」とマイクで絶叫する、か細い女性の声を聞いていた。

 しかし、多くの市民はそこに合流することも、代わる手段を見出すこともできなかった。光州の人々は戒厳軍のタンクと銃の前に気勢をそがれ、市民が犠牲になるのを見守ることしかできず、自分の良心を責めるしかない結果を招いた。映画ではシネが直接その場面を体現しているが、生き残った人間にとって、その苦痛がどのようなものであるか、言葉では形容できない。生きた自分を最も責めるシネ。シネは言葉では表せない罪悪感に苦しめられているのだ。

 しかしながら、それゆえ光州市民の民主精神の価値が失われるようなことがあってはならないだろう。こうした良心に対する罪悪感は光州市民に限って通じるもので、どの地域の市民も共有できない大事な遺産である。罪悪感に悩む気持ちこそ民主と平和を愛し、その価値を守ろうとする基盤であり、民主主義を脅すすべてのものに抵抗する原動力として働くのではないか。

 その後、満足するほどではないが、真相究明が行われ、光州望月洞に国立墓地も造成された。すべての犠牲者は国家功労者になり、多くの人が墓地を訪れ、犠牲者らの魂を慰めている。毎年光州を訪問する外国人の数も増える一方である。墓地の周辺に日本人観光客の姿を見ることもできる。しかし、そのうち光州市民の心を真に理解する人が、どのくらいいるだろうか。今回「華麗なる休暇」という映画を通じ、光州を日本の皆さんに理解してもらう機会ができ、市民の一人としてうれしく思う。

 「華麗なる休暇」には、交戦シーンが主体となっていること、メロドラマ的な要素が強すぎることなど、問題点を指摘する声もあるだろう。だが、この映画が日本で上映される意味は大きい。光州民主化運動はどのようなもので、光州市民は何のために、どう闘ったのか。映画を通じて納得できると信じるからである。

 相手を真に理解することによって交流は成熟するだろう。韓国民主主義の発展を描いた「華麗なる休暇」の日本上映を歓迎しながら、これを機に両国交流がより深まれば何よりと思う。

×××××

「光州5・18(原題:華麗なる休暇)」(2007年、韓国)

監督:キム・ジフン
出演:アン・ソンギ、キム・サンギョン、イ・ヨウォン、イ・ジュンギ

写真1:軍と市民が最後に交戦した旧全羅南道庁=いずれも韓国光州市で2008年3月中旬、芳賀恵撮影
写真2:光州郊外の「国立5・18民主墓地」にある慰霊塔

場面写真:(C)2007 by CJ Entertainment&KiHweckShiDae. All Rights Reserved.
posted by 映画の森 at 22:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック