
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」がオープニングに流れる。画面にはキルスティン・ダンストの顔のアップ。背後を何羽もの鳥たちが落下していく。野原でくずおれる馬、焼け落ちるブリューゲルの名画、逃げ惑う母と子、地球に接近する惑星……。終末をイメージさせる画像が次々とモンタージュされていく。これから起こる悲劇を予言するような、黙示録的プロローグである。
ラース・フォン・トリアー監督の新作「メランコリア」は、地球が惑星の衝突を受け、消滅するまでの最後の日々を、クレアとジャスティンという姉妹の姿を通して描いた作品だ。

姉のクレア(シャルロット・ゲンズブール)は、実業家であるジョン(キーファー・サザーランド)と冷え切った夫婦生活を送っている。一人息子を生きがいとする地味な女性だ。一方、妹のジャスティン(キルスティン・ダンスト)は、広告業界の一線で活躍するコピーライター。クレアとは逆に派手な感じの女性である。
映画の第1章「ジャスティン」は、ジャスティンが結婚披露宴の主賓として、姉夫婦の大邸宅に到着する場面から始まる。細く曲がりくねった野道をのろのろと進んでくるリムジン。2時間もの遅刻に、出迎えたクレアとジョンは不快感を隠さない。しかし、ジャスティンは少しも悪びれることなく、高いテンションのまま広間に姿を現す。
新郎のマイケル(アレクサンダー・スカースガード)は資産家のようだが、どちらかというと凡庸な男。どう見てもジャスティンとは波長が合うとは思えず、前途多難を予感させる。

パーティは、子供じみた悪ふざけを繰り返すジャスティンの父親(ジョン・ハート)と、結婚を呪うスピーチで場を凍りつかせる母親(シャーロット・ランプリング)にかき乱される。すると、ジャスティンも少しずつ奇矯な言動をとり始める。異常さはどんどんエスカレートし、マイケルの忍耐力の限界を打ち破り、臨席した上司のメンツを粉砕する。
第1章ではジャスティンの常軌を逸した行動と、人間関係の破壊が徹底的に描かれる。手持ちカメラならではの臨場感ある映像が、異様な光景を鮮やかに表現している。
茶番と化した宴の後は、空っぽの大邸宅に残されたクレア夫妻と息子、そしてジャスティンが、惑星の急接近という試練を受けることになる。タイトルの「メランコリア(憂鬱)」とは、惑星の名前である。第2章「クレア」では、メランコリアの接近におびえるクレアと、冷静に受け入れようとするジャスティンが、対照的に描き出される。
迫りくる死の恐怖を前に、人間はいかなる行動をとるのか。本作はその思考実験と言えるだろう。披露宴というハレの場ではトラブルメーカーだったジャスティンが、絶望的な状況にあっては平静さを保ち、むしろ世界の破滅を心待ちにしているように見えるところに、トリアー監督の人間観がうかがえて興味深い。「世界はいつか終わる」という終末思想に魅かれているというトリアー監督。ジャスティンはトリアー監督自身の投影なのかもしれない。
(文・沢宮亘理)
「メランコリア」(2011年、デンマーク・スウェーデン・フランス・ドイツ)
監督:ラース・フォン・トリアー
出演:キルスティン・ダンスト、シャルロット・ゲンズブール、キーファー・サザーランド、アレクサンダー・スカースガード、シャーロット・ランプリング、ジョン・ハート、ウド・キアー
2月17日、TOHOシネマズ 渋谷、TOHOシネマズ みゆき座ほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。
http://melancholia.jp/
作品写真:(c)2011 Zentropa Entertainments ApS27