2011年12月07日

「ミヒャエル」 冷酷、狡猾な性犯罪者 “観察”の視線で

ミヒャエル.jpg

 主人公はミヒャエルという名の中年男。無口だが勤勉な会社員だ。少数ではあるが友人もおり、女性との付き合いもある。どこにでもいる平凡な男に見える。しかし、彼には誰も知らないもう一つの顔があった――。

 少年を自宅に監禁しながら、平然と社会生活を送る男を描いた「ミヒャエル」。主人公は誘拐した少年と暮らしている。在宅時には少年と食事や会話をし、週末にはレクリエーションにも出かける。これだけ見れば、まるで父と子のようでもある。

 しかし、就寝時刻になると少年を地下室に監禁。そして朝の出勤時には再び地下室へ。その間、少年は子供部屋のような地下室でテレビを見たり、絵を描いたりして過ごすことになる。

 もちろん、それだけでは済まない。ミヒャエルの目的が何であるかは言うまでもないだろう。彼が洗面所で性器を洗うさりげないカット。何を暗示するかは明白だ。力の弱い少年が抵抗するすべはない。ミヒャエルの前では気丈にふるまう少年が、一人きりになると肩を震わせ泣く姿は痛ましい。

 冷酷で狡猾な性犯罪者ミヒャエル。非常事態に直面したときの反応の仕方にぞっとする。少年が体調を崩し、夜間に高熱を出した時のこと。彼は「まずい」とつぶやくと、ただちに車で森まで走り、スコップで穴を掘るのだ。少年が死亡した場合への備えである。

 しかし、このようなミヒャエルの行動は、決して強調して描かれることはない。どんなシーンを撮る時も、カメラは決して人物に接近したり密着しないのだ。一定の距離から対象を観察するような映像は、ミヒャエル・ハネケの作品を彷彿とさせる。

 もしやと思って、今回が監督デビューとなるマルクス・シュラインツァー監督のプロフィールを見ると、キャスティング・ディレクターとして長くハネケ作品に参加した経歴を持つ。鬼才の仕事を間近に見ながら、シュラインツァー監督は演出術を学んだに違いない。

 先を読ませないストーリー展開、リアルな人物造形、“寸止め”のエンディングなど、新人とは思えない演出力に、非凡な才能がうかがえる。次回作が楽しみだが、まず本作の日本公開を熱望する。

(文・沢宮亘理)

「ミヒャエル」(2010年、オーストリア)
監督:マルクス・シュラインツァー
出演:ミヒャエル・フイト、ダヴィド・ラウヘンベルガー

第24回東京国際映画祭 ワールドシネマ部門 

http://2011.tiff-jp.net/ja/

作品写真:(c)2011 NGF
posted by 映画の森 at 12:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーストリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック