2011年08月03日

「はだしのゲンが見たヒロシマ」 原作者の中沢啓治氏・石田優子監督が会見

「世の中が核兵器のない方へ進んでくれたら、被写体となった意義がある」

中沢啓治氏(左)と石田優子監督.jpg

 原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」の作者・中沢啓治氏が、自身の原爆体験を語るドキュメンタリー映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」。8月6日の公開を前に、完成披露試写会が東京・渋谷でこのほど開かれ、上映後に中沢氏と石田優子監督が記者会見した。中沢氏は「世の中が少しでも戦争や核兵器のない方向へ進んでくれたら、被写体となった意義がある」と語った。

 「はだしのゲンが見たヒロシマ」の企画は、NPO団体のANT‐Hiroshimaが被爆者や戦争体験者の記録映像を撮影する中で生まれた。被爆者の一人として中沢氏を取材したが、話があまりに衝撃的だったため、石田監督ら製作スタッフが「ぜひ多くの方々に伝えたい」と、中沢氏に映画化を前提としたインタビューを改めて申し込んだのだ。

はだしのゲンが見たヒロシマ.jpg

 石田監督と「はだしのゲン」との出合いは小学校入学前。母親に連れられてアニメ版「はだしのゲン」を見に行ったのが最初だと言う。

「原爆投下のシーンなどが強烈な印象で、夜中に思い出して眠れなくなるほどだった。単行本は図書館や児童館に置いてあったが、”簡単に見てはいけない漫画だ”という意識があり、おそるおそる見ては閉じ、見ては閉じという子供時代を過ごした。原爆というものを初めて知るきっかけを与えてくれたのが『はだしのゲン』だった」

 「はだしのゲン」は石田監督が生まれる5年前の1973年に連載がスタート、85年に終了している。途中、休載や掲載誌の変更をしながら、長い年月にわたり作品を描き続け、原爆や戦争の悲惨さを訴えてきた中沢氏。本作では自ら映画という作品の被写体となり、生の言葉で観客に語りかけた。

 「映画の中で自分がしゃべるのを見るのは恥ずかしかったが、僕の言葉や身体から何かを感じ取ってもらえたらうれしい。そして、少しでもいいから、世の中が戦争や核兵器のない方向へ進んでくれたら、被写体になった意義もあると思う」

 原爆で父、姉、弟が亡くなり、母親も原爆病院で亡くなった。核の恐ろしさは嫌というほど思い知らされてきた。そんな中沢氏の目に福島第一原発の事故はどう映ったか。

 「僕は前から原発には反対だった。まだまだ人間が制御できる段階ではない。案の定、事故が起きてしまった。原発はもう放棄して、自然エネルギーに切り替えるべきだ」

 1時間におよぶ会見では、敗戦が決定的な状況で原爆が投下されたことへの怒り、被爆者差別への憤りなど、中沢氏が感情を露わにする場面もあり、会場からはため息ももれた。

はだしのゲンが見たヒロシマ2.jpg

 若者の街・渋谷で作品が公開されることについて、中沢氏は「若者がこの映像に触れて、平和の大切さに気づいてくれて、それが次の世代へ広がってくれれば、作者冥利に尽きる」と語った。また、石田監督は「多くの人たちに集まってもらえるいい場所で上映できることを大変うれしく思っている。ぜひ皆さんに見てもらいたい」と呼びかけた。

(文・写真 沢宮亘理)

「はだしのゲンが見たヒロシマ」(2011年、日本)

監督:石田優子
出演:中沢啓治

8月6日、オーディトリウム渋谷でモーニングショー。作品の詳細は公式サイトまで。

http://cine.co.jp/gen/

作品写真:(C)2011 シグロ、トモコーポレーション
posted by 映画の森 at 19:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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