2010年05月18日

「アヒルの子」小野さやか監督に聞く 「撮るか、死ぬか。覚悟決め家族と対決した」

傷ついた自分と向き合う 迫真のドキュメンタリー

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 5歳で両親から“捨てられ”た。小学4年で長兄から性的虐待を受けた。傷ついた少女は、痛みをこらえ、ひたすら“いい子”であり続けた。生きる場所は家族の中にしかなかったからだ。転機は18歳で上京した時に訪れた。家族から離れ、初めて自分自身と向き合った。“いい子”をやめようと思った。“いい子”のすみかである家族を壊そうと思った。彼女は、家族一人ひとりに面談して、積年の怒りと恨みを爆発させた――。

 従順だった娘、おとなしかった妹が、突如として牙をむく。情け容赦のない攻撃に、家族は戸惑い、うろたえる。一人の女性が命をかけて家族と闘う、迫真のドキュメンタリー「アヒルの子」。主演も務めた小野さやか監督に、製作の経緯や当時の心境を聞いた。

 主なやり取りは以下の通り。

家族の抵抗退け、撮影を強行
 ――家族と自分の非常にプライベートな関係を、ドキュメンタリーとして撮ろうと思った理由は何でしょう。

 (臨床心理学者の)河合隼雄さんの著書「家族関係を考える」を読んで、家族に対して私が抱いている感情は決して自分だけの特別なものではなく、神話の世界にも見い出せる普遍的な感情だと知り、作品化する意味があるだろうと思ったんです。作ることによって、自分をしばり付けてきた家族から解放されたい思いもありましたね。

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 ――作品の構成やイメージはあらかじめ決まっていたんですか。

 家族一人ひとりと対面する場面は、こう撮っていこうとイメージしたうえで、私が何をしたいか書いた通りにやっています。対話のシーンでは相手の反応が予測できないので、流れに身をまかせて撮っています。ただ、(5歳で預けられた寄宿制の)ヤマギシ学園幼年部については、記憶がないことをどうするかが課題でした。もしかしたら自分も知らないパンドラの箱が開くのでは……と。

 ――家族と対決していくシーン、特に次兄と長兄とのシーンの生々しさには息をのみました。どうして、あんな赤裸々な映像が撮れたのか。なぜ撮影に抵抗しなかったのか。予告して撮ったんですか。

 予告は一切していません。突然行って、突然カメラを回しています。抵抗はありましたよ。長兄は、最初に訪ねた時に取り込み中で、やむなく日を改めて撮影したのですが、その間に「お前はちょっと頭がおかしい」というメールが来ました。両親とのシーンも、何度も「カメラを止めて話ができないの?」と、父や母から言われました。でも、私は引き下がりませんでした。撮るか、死ぬかという気持ちでした。家族にしてみれば、いつも従順な“いい子”が、ここまで強硬な態度を崩さないのは、よほどのことだろうと思ったのでしょう。それで、最後はみんな観念したんじゃないでしょうか。

 ――映画の最初の方の家族団らんのシーンを見ても、いかにも“いい子”という感じです。そのいい子が突然牙をむくのですから驚いたでしょうね。ヤマギシ学園に預けられ、親から捨てられたと感じた5歳の時から15年、トラウマを閉じ込め、いい子を演じ続けてきたのはなぜでしょう。

 一つには、もう二度と親から捨てられたくないという思いがあったと思います。姉が高校でグレてしまったこともあり、4人のきょうだいの中では、私が親を支える側に回らざるを得なかったこともあります。家族のバランスの中で、“いい子”のポジションはどうしても必要でした。転機が訪れたのは、18歳で上京して、(映像製作の専門学校)日本映画学校に入った時です。そこには、人前に出た時、何を話していいのか分からない自分がいました。自分の価値観が親の言っていたことの受け売りで、自分自身は空っぽだと気づかされたんです。私は家族の奴隷だったと分かった。それで、家族を壊さなくちゃいけないなと思ったんです。

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自分の苦しみ、分かってもらおうと必死だった
 ――そして家族一人ひとりと対決していくわけですね。

 勇気を振り絞って立ち向かいました。なにしろ、それまで一度も反抗したことがない“いい子”だったわけですからね。必死でした。両親の寝室に向かう場面では、ぶるぶる震えが止まりませんでした。おとなしかった子供が親に歯向かうのはよほどのことなんです。世の中で子供が親を傷つけたり殺したりする事件が起こるのは、親もそれだけのことをしているんじゃないかと、私は思いますね。

 ――両親の寝室を襲うシーンでは、ハサミを隠し持っていますね。何をするつもりだったんですか。

 自分の髪の毛を全部切ってやろうと思った。自分の体の一部を傷つけることで、自分の苦しみを分からせようと思ったんですよ。でも、両親が何を勘違いしたのか、素早く私からハサミを奪ってしまった。

 ――「娘にやられる!」と思ったのかもしれませんよ。

 そうかもしれないですね(笑)。私、実はすごくドジで、ハサミをポケットに入れていたんですよ。寝室に入るところでハサミを落としているんです。だから父親は「こいつ、ハサミを持っている」って、初めから警戒していたみたいです。私としては、自分の苦しみを伝えるために、何かをしなければならない。たとえ狂人のように見えようが、何か異常なことをして見せなければならない。そんな思いでいっぱいだったんです。

1カ月、部屋に引きこもりカメラに独白
 ――両親のシーンや長兄のシーンは、小野さんが攻撃的で、鬼気迫るものが感じられますが、次兄とのやり取りは、一種のラブシーンになっていて、別の意味ですごい生々しさがあります。妹に愛を告白された次兄が涙を流すカットが印象的でした。

 (映画監督の)原一男さんが言ったんです。あの時、次兄と私との間にカメラがなかったら、どうだったんだろうって。カメラがあったために、そこから一歩近寄れない二人の関係があった。でも、カメラがなかったら、どうなっていたのだろうと。私には、次兄という、私に対して絶対に性的なものを持ち込まない神聖な人に対して、それを壊したい衝動がありました。

 ――カメラマンが入らず、固定カメラと小野さんの手持ちカメラで撮影されていますね。

 次兄の撮影では、カメラポジションをどうするかで、すごくもめたんですよ。本来はカメラマンの山内大堂が撮影に入るべきところを、私はこの時期、人間不信になっていて、スタッフにもすごい不信感を抱いていたので、自分で撮影することにしたんです。私は「みんなが自分を笑っているんじゃないか」って、被害妄想にとりつかれていた。ちょっと精神的におかしかったんです。

 ――冒頭、暗い部屋で布団の上に座り、包丁で体をなでるシーンがあります。同じポジションで、長兄に会いに行く前、全裸になって長兄の性的虐待を語るシーンがあります。この二つのシーンも、固定カメラで撮っていますね。

 1カ月間、自室に引きこもって撮りました。“独白”の撮影期間を設けて、一人でカメラに向かって話したんです。包丁を持って自分の体に当てる動作も、全裸になることも、精神的に不安定な状態で自然に生じた反応です。実際にはやりませんでしたが、太ももに包丁を刺すとか、過激なことも考えていました。

 ――小野さんはドキュメンタリーの主演者として、カメラの前ですべてをさらけ出さなければいけない。一方で、映画全体をコントロールする冷静な監督の立場もある。両立は難しかったのではないですか。

 初めの企画会議でスタッフを決める時、「演出は別の人間を立てたほうがいいんじゃないか」と、原さんに言われたんです。でもそれは100%無理だったんですね。だって、私は誰も信用していないわけですから、誰かに演出を任せられるわけがない(笑)。だから「絶対に私が演出じゃないとやらない」と言い張ったんです。結果的に、自分が見えていない部分は、スタッフみんなでカバーしてもらう体制をとることになりました。

 撮影は基本的に山内に一任しました。彼に言った最初の言葉は「私がトイレにいようが風呂にいようが、必要だと思うならカメラを回せ」でした。カメラマンとしての腕が飛び抜けていたのは、間違いありませんでしたからね。彼は有能だ、と学校でも引っ張りだこでしたから、スタッフ編成の時も彼の家まで押しかけて、ぜひうちのチームでやってくれ、って頼み込んだんですよ。

 だから、私自身はたいしたことはしていないんです。「これはこう撮れ」とか、あまり具体的な指示は出していません。その代わりに毎日毎日、「撮影してどう思ったか。次はどうしたいか」を書いて、必ずみんなに読んでもらっていましたね。全部で原稿用紙160枚ぐらいになったんじゃないでしょうか。

泣きながら感想を言ってくれた人も
 ――2005年に製作されてから公開まで5年かかってますね。やはり家族の反対が強かったんですか。

 姉が一番反対しましたね。やはり長兄のシーンは外せ、と。でも、そこをカットしたら意味がないですからね。根気よく説得して、最後は「四国では上映しない」という条件で、了承してもらいました。長兄にも何回も会って、何回も嘆願して、許可を取りました。最終的には「お前の好きなようにやれ」と言われました。自分がやってしまったことに対する彼なりの落とし前というか、妹に対する責任の果たし方なんでしょう。

 結果的には、5年おいてよかったかなと思っています。家族一人ひとりが内省するための時間が必要だった。勢いに任せて公開していたら、たぶん、私はすごい傷だらけになって、そのままどこかに逃亡してしまっていたと思います(笑)。

 ――試写などで見た人たちの反応はどうですか。

 女性にはすごく共感してくれる人が多い。泣きながら感想を言いにきてくれる人もいる。やはり小さい頃に性的ないたずらをされて、心の傷として残っている人もいました。一方、男性には、拒絶反応を示す人が多かった。上映が始まって10分で出て行く人もいました。家族の問題をそんなに突き詰めなくてもいいじゃないか、ヤマギシなんかもうすたれているんだから放っておけばいいじゃないか。そう思ったのかもしれません。でも、傷つけられた者にとっては、簡単に水に流せる問題ではないんですよね。そのことは理解してほしいですね。

 ――最終的に自分が目指したような作品になりましたか。

 日本映画学校の卒業製作には、「ファザーレス 父なき時代」(99)、「あんにょんキムチ」(99)など、セルフドキュメンタリーの伝統があるのですが、過去の作品を超えるレベルのものを作る意気込みで、撮影を進めました。目標としたのは、原監督の「極私的エロス・恋歌1974」(74)です。いい線まで行っていると思いますが、どうでしょう。とにかくパワーは込めたつもりです。

 ――次作の予定は決まっているんですか。

 企画は一応2本持っています。映画は企画段階での到達点が高くないと、絶対にぐずぐずなものになるんですよ。「ここまで描こう」と思っても、実際にはその3割ぐらいしか描けない。「アヒルの子」を撮ってみてそう思ったんです。だから、脚本は2本あるんですけど、設定のハードルをできるだけ高くしたいので、いま手探り中です。企画そのものはすごく面白いと思っているんですけれどね。

 とにかく面白い作品にするためには、また命がけで取り組みたいと思います。でも「アヒルの子」を見た後に、一緒にやりたいと言ってくれる人はあまりいないかもしれませんね(笑)。

 小野さやか(おの・さやか) 1984年、愛媛県生まれ。高校卒業後、日本映画学校に入学。在学2年目から映像ジャーナルゼミに所属し、ドキュメンタリーの製作を学ぶ。3年目に卒業製作として本作「アヒルの子」の企画を提出。約8カ月かけて完成させた。

(文・写真 沢宮亘理)

「アヒルの子」(2005年、日本)

監督:小野さやか    

5月22日、ポレポレ東中野でモーニング&イブニングショー。全国順次公開予定。作品の詳細は公式サイトまで。

http://ahiru-no-ko.com/

写真:「撮るか、死ぬかの覚悟で撮った」と話す小野さやか監督
作品写真1・2:「アヒルの子」
posted by 映画の森 at 18:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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