2008年10月31日

「帝国オーケストラ」 ベルリン・フィル、負の時代の軌跡

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 1882年5月1日、オーナーの人使いの荒さに悲鳴を上げた楽団員たちが、反旗を翻す形で発足したベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。「帝国オーケストラ」は、創立125年を機に、いわばその“負の時代”を回想したドキュメンタリーだ。

 1933年から45年まで、ベルリン・フィルは、ナチス・ドイツ政権のプロバガンダの一翼を担い、多額の公的補助を得た。「帝国オーケストラ」は2名の生存者と、今は亡き楽団員の遺族の回想に加えて、驚くほど豊富に残っている記録映像から、第三帝国時代のベルリン・フィルを淡々と描く。多くの記録が残されたのは、プロバガンダに協力した故だ。

 1921年まではアルトゥール・ニキシュ、翌年からヴィルヘルム・フルトヴェングラーが常任指揮者となったベルリン・フィルは、ワイマール共和国の時代にすでに音楽的な名声を確立していた。しかし、ナチス・ドイツの台頭の元ともなった深刻な当時の不況は、ベルリン・フィルの台所事情にも厳しかった。出演者の1人、ヴァイオリニストのハンス・バアスティアンは、楽団の悲惨な経営状態から1度、ベルリン・フィルで冷遇される憂き目にもあう(39年からはコンサートマスター)。

 第三帝国成立後、ベルリン・フィルは、基本的に独裁政権のもとにコントロールされる。映画の中で当時のコントラバス奏者、エーリヒ・ハルトマンは、何度も必死になって“ナチスのオーケストラ”という批判を否定しようとするが、彼の表情が観る者には逆に「あの時代、ベルリン・フィルはナチスの片棒を担がざるを得なかったのだ。ほかに道はなかった」と思わせてしまう。そのことについてバアスティアンは、肯定も否定もせず、困惑の表情を浮かべ続ける。

 ナチス政権の成立後、あれよあれよという間に、ホールからはユダヤ系だというだけで偉大な作曲家・メンデルスゾーンの胸像は外され、シモン・ゴールドベルクらユダヤ系の名演奏家は楽団から追放されていく。ハルトマンらは困惑しつつ、なす術がない。楽団員にもナチス党員がいるから、世間話にも気を使う始末。ほかの音楽家を守るべくドイツ国内にとどまったフルトヴェングラーは、ユダヤ系音楽家の亡命の手助けにも追われる。

 その一方でベルリン・フィルは、第三帝国のあらゆる重要行事に参加し、ベルリン・オリンピックや、ヒトラーの誕生日行事(!)を盛り上げる。ラジオを通じて戦意も高揚させる。そうしなければ組織も、個人も生き残れなかった。第三帝国のような独裁体制の下で、人々や組織が生き延びる難しさを、「帝国オーケストラ」は静かな語り口で雄弁に語る。特権的な地位を得た楽団員たちは徴兵されることもない。「周囲の目がつらかった」とバアスティアンは回想する。ハルトマンは、空襲でホールを失ったつらさを述べる。

 不幸な例外を除いて、ほとんどの楽団員が生き残ったからこそ、敗戦後の混乱にも関わらず、楽団の再建は驚くほど早い。活動を休んだのは、わずかに1か月ほどなのだ。ナチス・ドイツのプロバガンダの一翼を担い、戦意高揚にも協力したベルリン・フィルは、敗戦後、今度は手のひらを返すように、人々の打ちのめされた心に火を点す。音楽の素晴らしさが、じつは諸刃の刃であることも「帝国オーケストラ」は痛感させる。
 
 クラシック音楽のファンにとっては、フルトヴェングラーの指揮する演奏の数々がふんだんに観られること事も、「帝国オーケストラ」の魅力の一つだ。彼の指揮姿は、俗に言われるほど変わっていない。レナード・バーンスタインとは違って踊りはしないが、歩き回るがごとく頻繁に立ち位置が変わる。オーケストラの方に踏み込んでいったり、後ろに下がったりするので、時々、指揮台から落ちそうだ。現代の名指揮者、ニコラウス・アーノンクールや、ロジャー・ノリントンに似ている。この立ち位置の頻繁な変更が、フルトヴェングラーの指揮を「変わっている」と言わせた原因だろう。楽団員には演奏しやすそうだ。

(文・西山聡)

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「帝国オーケストラ ディレクターズカット版」

監督:エンリケ・サンチェス・ランチ
出演:当時の演奏家とその関係者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ナチス宣伝相・ゲッペルス

11月1日、渋谷・ユーロスペースほかで全国順次公開。

作品写真:(c)SV Bilderdienst
posted by 映画の森 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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