2008年11月08日

「青い鳥」 阿部寛に聞く 「本気の言葉は心に届く」

重松清の短編映画化 吃音の教師役を熱演

「青い鳥」 阿部寛に聞く1_200.jpg

 新学期。東ヶ丘中の校門では、教師や友達と明るく挨拶を交わす生徒たちがいた。映画「青い鳥」は、平凡で平穏な学校の一風景から始まる。

青い鳥_250.jpg

 しかしこの学校は、前学期に起きた事件で大きく揺れていた。いじめを苦に自殺未遂を図り、そのまま転校してしまった生徒がいたのだ。実家がコンビニエンスストアを経営する野口は、クラスメートに「コンビニくん」と呼ばれ、要求されるがまま、店の商品を盗んでは級友に渡していた。いつもおどけて、うれしそうに応じていたように見えた野口。自殺未遂を起こすまで、誰も気づかなかった。彼がそれを「いじめ」と受け止め、深く傷ついていたことを──。彼の遺書には「僕を殺した犯人です」と3人が挙げられていたが、名前は明かされることはなかった。

 マスコミは騒ぎたて、学校は「指導」で問題を解決しようとした。事件のあった2年1組の生徒は反省文を書かされた。教師全員が目を通し「合格点」を与えられるまで、何度も何度も書き直しさせられた。校内にはいじめ対策の投書ポスト「青い鳥ボックス」が設置され、教室には「相手を思いやる心」という標語が掲げられた。

 学校は「新生東ヶ丘中」に生まれ変わったはずだった。

 そこへ、2年1組の臨時講師として、村内先生(阿部寛)が現れる。彼は「普通」の先生とは少し、いやかなり、違う。吃音(きつおん)でうまく話せないのだ。ぎこちなく、どもりながら挨拶する先生を見て、クラスに笑いが起きる。

 ところが、村内が発した言葉に、教室は静まり返る。

 「忘れるなんて卑怯だな」
 
 片付けられていた野口の机。村内先生は、教室の元の場所に戻させた。机には「コンビニエンスのぐち」と落書きが残っていた。「おはよう、野口くん」。村内先生は来る日も来る日も、野口の席に向かって語り続ける。動揺し、反抗する生徒たちなど気にもしていないように。

 犯人として挙げられた名前の中に、自分がいるのではないか。そんな疑問を持ち、密かに苦しんでいた園部真一(本郷奏多)は、ある出来事をきっかけに疑問をぶつける。

 「これは僕たちに対する罰なのか」

 村内先生は答える。

 「責任だ」

 なぜ野口を、事件を忘れてはいけないのか。どもりながら語る村内先生の言葉が、園部の胸に刺さる──。

 「青い鳥」は、重松清の同名短編集が原作。主人公の臨時講師・村内先生が、心に傷を抱えた生徒たちと接する物語だ。原作で村内先生は小太りで、少し頭の薄くなった「オジサン」だ。長身で男前の阿部寛とはかなり違う。「僕にできることならば、一生懸命やりたいと思った」と阿部は語る。原作とは一味違う村内先生。すべてを受け入れているかのような深く優しい眼差しが、複雑な14歳、複雑な傷を負った生徒たちの無言の言葉を受け止める。

 「人を嫌いになることもいじめなのか」
 「人を教えるとはどういうことなのか」

 答えのない、難しい質問を次々浴びせられる村内先生。先生として疑問にどう向き合ったのか。吃音を持ちながら、教師という職業につき、傷付いた生徒のいる教室の戸を開ける──。阿部は何度も「本気」という言葉を繰り返した。

 ──吃音の村内先生を演じるうえで、苦労した点、気をつけたことは。

 まず僕自身が吃音を研究し、知ることが必要だった。村内先生がどのくらい重度な吃音なのか。その上で「吃音の人間が、あえて教師になる」という信念について、監督と話した。次にいじめ問題について、現場の校長先生に聞いた。

 ──学校が抱えている問題は、本当に難しく答えのないものばかりだ。

 いじめの問題はすごく難しい。下手に作ると説教臭くなり、何も解決できないまま終わってしまう。「青い鳥」の良さは、(村内)先生がはっきりした答えは出さず、大事なことを生徒たちに気付かせて「後はそれぞれ心の中で考えなさい」と言うところ。 彼の言葉は少ないが、心に問いかける量は無限大。相手の心に本気で届く言葉で語りかけている。だから心に刺さる。

 ──台詞が少ない中、いろいろな感情を込めて演じなければならない。

 吃音を最初はかなり重く演じようかと思った。しかし原作や台本の字を追うのと、生徒を前にした芝居は全然感覚が違った。吃音をあまり重くすると、生徒のセリフも変えなければならない。セリフを止めると違和感があり、あまり長く話すと何を言っているのか分からなくなってしまう。度合いが難しかった。

 ──自分自身の十代に、心に残る言葉をくれた大人は。

 やはり先生。怒られたこと、注意されたこと。「本気で怒っているんだな。本気で自分のことを思って怒っているんだな」という言葉や行動は、はっきり覚えている。叩かれたこともあったが、やはり「本気」って大事じゃないか。村内先生の台詞に「本気の言葉は、本気で聞かなきゃだめだ」というのがある。「本気」はスマートではなくて、ださかったり、かっこ悪かったりする。人の心に届くのはそういう言葉ではないか。

 いい先生、名教師はたくさんいるかもしれない。新人だとしてもなりふり構わず頑張っている本気の姿、言葉は届く。僕もいろいろないい先生に教わった。結果的に覚えているのは、自分に対して泣きながら、顔真っ赤にしながら、格好悪い状態を見せてでも、ぶつかってきてくれた先生だった。

 ──学校現場で話を聞き、驚いたことは。

 今の子供たちはメールでいじめを促進するような、陰湿なことがあるようです。陰湿さが根深い、と。情報やモノがあふれていて、一つのものへの執着がなくなり、飽きっぽくなっているとも聞いた。クラスにこっそり入り込み、後ろから覗いてみたかったぐらい(笑)。

 ──自分の時代との変化を感じたか。

 子供は変わっていないのでは。撮影の1週間ぐらい前から監督が子供40人ほどを集め、教室の空気、芝居も含めて形を作ってくれていた。僕が初めて「村内先生」として教室のドアを開けた時、もう雰囲気はできていた。子供たちが自分たちの犯したであろう罪を問われ、ちょっと荒れかけたような感じで、先生としてやりやすかった。撮影現場を離れてみると、本当に元気がいい。自分が中2の時より、よっぽどやんちゃに思える子供たちだった。

 ──本郷と共演した感想は。

 彼は心に傷を負い、苦悩している生徒の役。独特な繊細さと、いい意味で孤独なナイーブさが演技に生きていて、助けられた。周りの生徒たちも真剣。教室に入って見た40人の目は、強烈でまっすぐだった。むしろこちらがひるむようなぐらいだったが、一人一人と視線を交わして芝居でき、互いに信頼関係を持てた。(視線は)まっすぐで……。質問をしてこない分、子供たちはふっと相手を見て、すっと自分の中である納め方をする。ぱっと見て、ぱっと納める。村内先生に対しても同じ。人物を心の中に落としていく。ある種残酷だったりもする。

 ──試されているということか。

 そう。だから心を見るようにしていた。現場では僕は「阿部さん」ではなく、「村内先生」と呼ばれるように徹底し、生徒たち全員の名前を覚えたんだ。

写真:「青い鳥」では臨時講師役。自らの子供時代を振り返り「本気で先生は自分のことを思って怒っているんだ、と思った言葉や行動は、はっきり覚えている」と話す阿部寛=東京・六本木で10月18日

(文・写真 吉田しのぶ)

×××××

「青い鳥」(2008年、日本)

監督:中西健二
出演:阿部寛、本郷奏多、伊藤歩、井上肇、重松収、岸博之

11月29日、新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋ほかで全国公開。

作品写真:(C)2008「青い鳥」製作委員会
posted by 映画の森 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック