2008年12月20日

「そして、私たちは愛に帰る」 出会い、別れ、死、癒し、愛、希望

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 ドイツ、ブレーメン。初老のトルコ人でやもめ暮らしのアリ(トゥンジェル・クルティズ)は、同じトルコ出身の娼婦・イェテル(ヌルセル・キョセ)が気に入り、同居を持ちかける。靴屋で働いていると偽り、娘を母国・トルコの大学に通わせていたイェテルは、現在の収入分は保障するというアリの申し出を受けて一緒に暮らし始めるが、浮気を邪推したアリに殴られ、あっけなく死んでしまう。アリは刑務所に収監される。

 ハンブルクの大学で教壇に立つアリの息子のネジャット(バーキ・ダヴラク)は、日頃から軽蔑していた父親を、この一件で完全に見限った。密かに同情を寄せていたイェテルの遺体とともに、トルコのイスタンブールに渡り、彼女の娘・アイテンを探すことに。

 しかし、過激派学生のアイテン(ヌルギュル・イェシルチャイ)は、警察の追跡をかわし、すでにドイツへと逃れていた。居場所を探して忍び込んだハンブルクの大学でロッテ(パトリシア・ジオクロースカ)と知り合ったアイテンは、意気投合したロッテの自宅に同居。しかし、保守的なロッテの母親・スザンヌ(ハンナ・シグラ)とそりが合わず、事あるごとに衝突する。

 ある日、アイテンは不法滞在が発覚し、トルコに強制送還される。投獄されたアイテンを救おうと、ロッテは母親の反対を押し切り、イスタンブールへ。アイテンと再会を果たしたロッテは、彼女の依頼を受けて、ある品物を指定された場所に届けようとするのだが、思わぬアクシデントで不慮の死を遂げる――。

 アリとイェテル、イェテルとネジャット、ネジャットとロッテ、ネジャットとスザンヌ。あるいは、ロッテとアイテン、アイテンとスザンヌ。一つの出会いから新たな出会いが導かれ、その出会いがまた次の出会いを生み出していく。運命的な連鎖の中で、愛が生まれ、憎しみが生じる。癒しが訪れ、希望が芽生える。

 壮大な運命劇の発端となったのは、イェテルとロッテ、二人の死である。ファティ・アキン監督が「すべての死は生誕である」と言っているように、この映画で、死は終わりではなく、始まりを意味している。ネジャットもスザンヌも、近しい人の死を契機として、自分自身の心と向き合い、新たな人生へと踏み出していく。

 ロッテの遺品を引き取りにイスタンブールに渡ったスザンヌは、ロッテのルームメイトだったネジャットと会う。娘の部屋を訪れ、娘の日記を読み、娘のベッドで眠ることで、スザンヌは次第に悲しみから立ち直っていく。イスラム教の祭りの夜、スザンヌはネジャットと食事をともにし、杯を交わす。「何に乾杯を?」というネジャットに、スザンヌが「死(Tod)に」と答える場面が象徴的だ。

 ネジャットは、出所後トルコに強制送還され、今は一人暮らしをしている父親と再会する決意をする。海岸に腰を下ろし、「釣りに出かけた」という父親の帰りを待ち続けるネジャットの後ろ姿を、カメラは延々と映し続ける。印象的なラストシーンである。

 ベルリン国際映画祭グランプリに輝いた「愛より強く」(04)に続き、今年のカンヌ国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。1970年代独映画界を駆け抜けた異才、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の再来とも言われる俊英、ファティ・アキン監督の才能が存分に発揮された傑作である。

(文・沢宮亘理)

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「そして、私たちは愛に帰る」(2007年、独・トルコ)

監督:ファティ・アキン
出演:バーキ・ダヴラク、ハンナ・シグラ、ヌルセル・キョセ、トゥンジェル・クルティズ、ヌルギュル・イェシルチャイ、パトリシア・ジオクロースカ

12月27日、シネスイッチ銀座ほかで全国公開。
posted by 映画の森 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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