2009年07月25日

「真夏の夜の夢」 中江裕司監督に聞く

「目に見えない、理屈では説明できないものが、人間を豊かにしてくれる」

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 東京での不倫の恋から逃れ、久しぶりに故郷の島に帰ってきたゆり子。そんな彼女の前に、幼い頃に友情を誓った精霊(キジムン)のマジルーが現れた。恋のトラブルからゆり子を救おうと、マジルーは魔法の“惚(ほ)れ薬”を使って大奮闘。ところが、ゆり子はリゾート開発絡みの政略結婚に巻き込まれるという、新たなピンチに陥った。はたして、ゆり子の運命は!? そして島の未来は!? シェイクスピア喜劇の舞台を沖縄の離島へと移し、人間と精霊との共存を讃える「真夏の夜の夢」。中江裕司監督は「目に見えない、理屈では説明できないものが、人間を豊かにしてくれる」と語った。

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 主なやり取りは次の通り。

 ――シェイクスピア劇の現代版を沖縄で撮る。アイデアはどこから。

 プロデューサーに求められて、うちの奥さん(中江素子)が脚本を書いたのが、そもそもの始まり。僕は「恋しくて」(06)の製作中だったので、その段階では何も知らなかった。「恋しくて」が完成してから第一稿を読み、共同脚本家としてプロジェクトに加わった。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」では、人と精霊(妖精)が当たり前のように共存している。みんなが妖精の存在を信じている。そういう話を今日本で映画に撮るとしたら、沖縄の離島だろう。精霊が息づく自然の気配がまだ色濃くあるし、人の心の中にも精霊を信じる気持ちも残っている。これならシェイクスピアの世界が再現できると思った。

 ――マジルー役は「ホテル・ハイビスカス」(02)の蔵下穂波。起用理由は。

 蔵下穂波は「ホテル・ハイビスカス」で素晴らしい演技を見せた。しかし、だからといって、マジルーという役が演じられるとは限らない。そこで、彼女を含め、大々的にオーディションをやってみた。マジルーは精霊(キジムン)なので、男でも女でもない存在。あまり女っぽい子にはできない役だと考えていたので、男の子を起用する可能性もあった。東京のプロダクションに所属している子から、沖縄の素人の子まで、さまざまな子に会って、一人ひとり平等に見比べてみた。

 穂波はブランクが長かったし、今回は正直言ってちょっと厳しいかなという感じだった。彼女自身、精霊をどう演じたらよいか戸惑っている様子だった。しかし、1次から5次までオーディションを重ね、候補者を絞り込んでいく過程で、穂波は徐々に役をつかんでいった。最終オーディションでは穂波が他を圧倒した。ほかの子たちは懸命にマジルーを演じようとしていたが、穂波はもはや演じてはいなかった。彼女はマジルーになり切っていた。演技をさせると、その子のベースにあるものが透けて見える。ほかの子たちは、渋谷のコンビニだとか、東北の港町だとかが背景に見えた。穂波の場合は森が見えた。あっ、マジルーだと思った。

 ――ゆり子(柴本幸)とマジルーはどんな関係なのか。

 ゆり子とマジルーとの関係は、切ろうとしても切れないものだと思う。二人は肉親のような強い絆で結ばれている。普通の男女の恋愛だと、別れちゃえば終わり。でも肉親の関係は決して切ることができない。そういう血のつながりめいたものが、ゆり子とマジルーにはあるのだと思う。マジルーがゆり子と別れたのは、二人の生きる術が違うことを知っていたから。ゆり子は人間としての生をまっとうしなければならない。マジルーはキジムンとして生きなければならない。人間は長く生きてもせいぜい100年くらい。けれども、子供を産むことで未来につないでいける。一方、キジムンというのは、人間より長く生きるけれど、そんなに子孫を残せない。彼らは人間を見守っていく立場。

 それぞれ生きる目的が違うので、一緒になったら互いの役割が果たせない。そのことをマジルーは知っていた。ゆり子はできればマジルーと一緒にいたいと思っていただろう。しかし、大切なのは、一緒に生きることではなく、共に生きることだ。別の場所にいても、互いに目的を持って、信じ合って生きる。それが共に生きるということだ。

 ――精霊(キジムン)とは人間にとってどんな存在なのか。

 人間は目に見えないものと共に生きている。ざわざわした気持ちとか、風とか、気配とかいったもの。そういう目に見えない、理屈では説明できないものが精霊だと思う。精霊はそれを信じる人間を豊かにしてくれる。だから、ゆり子はマジルーと別れることになるけれど、マジルーの存在を信じ続けることで、豊かな気持ちになれたのだ。

 ――映画の最後に雪が降る。雪の意味は?

 みんなを祝福している。マジルーがゆり子を祝福して降らせているのだが、雪は誰か一人の上にだけ降らすことはできない。つまり、ゆり子を祝福するということは、あらゆるものたち、あらゆる人たちを祝福することになる。

 マジルーが村長の息子の結婚式で「弥勒節(みるくぶし)」を歌う場面がある。あの歌の意味は、誰かが一人だけ幸福になることはあり得ないというもの。つまり、まわりも幸せじゃないと幸せにはなれない。まわりも幸せだからこそ、自分も幸せなんだという歌。僕はこの歌から多くのことを教えられた。確かにすぐ隣に不幸な人がいたら、幸せにはなれない。幸せになるというのは、まわりの人も一緒に幸せになることなのだ。雪を降らせることで、そういうことを表現している。

 ――そんな幸福感にあふれたラストとは裏腹に、リゾート開発で住民は島を出ていくという厳しい現実にも触れている。

 沖縄は、古き良き日本の姿をとどめている場所だ。しかし、その沖縄もだんだん“日本化”していって、やがてその良さを失うのでは、という不安はある。ただし、決して絶望的な状況にあるわけではない。忘れかけている価値を思い出せば、取り戻すことはできる。精霊と同じように、忘れさえしなければ、消滅することはないだろう。

 ――今後も沖縄を舞台にした映画を撮り続けるのか。

 特に沖縄に執着しているわけではない。ただ、沖縄から教えてもらったことは、世界中どこで通用すると思っている。とにかく、豊かなものを撮りたいと思う。その意味では、くだらない映画を撮ってみたい。くだらないことって一番豊かな気がする。くだらなくて、何の役にも立たず、ただ笑って終わりとか。そういうのが一番豊かなのかなとも思う。

 中江裕司(なかえ・ゆうじ) 1960年、京都生まれ。琉球大学入学と共に沖縄へ移住。92年、オムニバス映画「パイナップル・ツアーズ」の第2話「春子とヒデヨシ」で日本映画監督協会新人賞を受賞する。99年に発表した長編第1作「ナヴィの恋」は全国的に大ヒット。続く「ホテル・ハイビスカス」(02)はベルリン国際映画祭に出品され、国内外で高い評価を得た。映画製作のかたわら、閉館した映画館を再生した「桜坂劇場」を運営している。

(文・沢宮亘理)

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「真夏の夜の夢」(2009年、日本)

監督:中江裕司
出演:柴本幸、蔵下穂波、平良とみ、平良進

7月25日、シネカノン有楽町2丁目、シネマート新宿ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.natsu-yume.com/

写真上:「沖縄の離島には、精霊が息づく自然の気配が色濃くある」と話す中江裕司監督=東京都内で筆者撮影
写真下:(c)2009「真夏の夜の夢」パートナーズ
posted by 映画の森 at 00:00 | Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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