2017年08月11日

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017 監督賞受賞「中国のゴッホ」本物との出会いが運命を変えた レプリカ職人の人生に迫るドキュメンタリー

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 ゴッホの複製画を描くことを生業(なりわい)としている男を追ったドキュメンタリー「中国のゴッホ」。画集やテレビでしかゴッホの絵画を見たことのなかった男が、オランダ人のバイヤーからの誘いでアムステルダムに渡って、初めて本物に接し、衝撃を受ける。

 色が全然違う。入念にコピーしてきたつもりだったが、実物とは大違いだった。そのショックが、男の芸術家魂に火をつけた。ゴッホの描いたカフェを発見するや、「あの絵のとおりだ」と興奮し、その場でキャンバスを立て写生を始める。

 生活のために複製画を描き続けてきた。これからは自分のオリジナルを描こう。男は決意を胸に帰国する――。

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 中国・深セン市近郊の大芬(ダーフェン)村。世界で流通する複製画の半分がここで生産されているという。多数のスタッフが分担しながら、ゴッホの複製画を製作している風景は、日本のアニメ製作現場を彷彿とさせる。

 スタッフはみな地方からの出稼ぎ者らしい。美術学校どころか、主人公の男は家が貧しく小学校しか行っていない。だが、独学で身につけた技術は確かだ。自分の手になるレプリカが世界中に流通しているという自負もある。だからこそ、本物を見たいという気持ちは、人一倍強かったろう。

 バイヤーの援助はあるものの、渡欧には多くの出費が伴う。妻は後ろ向き。それを懸命に説得し、何とか夢をかなえる。生活のこと、息子の教育のこと。芸術と人生との両立に苦闘する男の姿は、シリアスであったりユーモラスであったり。自作の複製画がアムステルダムの土産物屋で売られているのを見て落胆する様子は、さすがに気の毒である。

 思わず感情移入してしまう、愛すべきキャラクター。そんな主人公の素顔に迫り、本音を語らせ、人生の転機を迎える瞬間を切り取って見せたドキュメンタリーである。

(文・沢宮亘理)

「中国のゴッホ」(2016年、中国・オランダ)

監督:ハイボー・ユウ、キキ・ティエンチー・ユウ

作品写真:(c)YU Haibo
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2017年08月10日

「きっと、いい日が待っている」デンマーク発 施設の児童虐待、未来ひらく兄弟の絆

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 1967年、コペンハーゲン。労働者階級の家に生まれた兄弟、13歳のエリック(アルバト・ルズベク・リンハート)と10歳のエルマー(ハーラル・カイサー・ヘアマン)は、病気の母親と引き離され、男児向け養護施設に預けられる。施設ではしつけ名目の体罰が横行していた。エリックたちは環境になじめず、上級生のいじめの標的されてしまう──。

 「きっと、いい日が待っている」は、コペンハーゲンの養護施設で起きた実話をもとにしている。子どもに対する暴力、薬物投与が明るみに出て、2000年代半ばに報告書がまとめられた。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(00)のラース・フォン・トリアー監督が率いる製作会社の俊英、イェスパ・W・ネルスンがメガホンを取った。

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 エリックとエルマーの兄弟が車に乗せられ、人里離れた施設へ送られる。物悲しい幕開けだ。かつて兄弟は元気いっぱいだった。天体望遠鏡を万引きした兄弟は店員に追われ、母親は呼び出されて責められる。宇宙飛行士になりたい天真爛漫なエルマーは、貧しさで手に入らない望遠鏡がほしかったのだ。しかし、シングルマザーの母が入院。兄弟は養護施設に入れられる。

 施設の生活は地獄だった。しつけ名目の教師の体罰、上級生のいじめ、過酷な労働。小児性愛嗜好の教師の毒牙。施設を支配していたのは、独裁的な校長(ラース・ミケルセン)だった。施設の仲間は兄弟に、気配を消して「幽霊になれ」と助言する。外界との接触を絶たれ、独自のきまりで運営される施設。

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 そこへ、新しく女性教師ハマーショイ(ソフィー・グローベル)が赴任してきた。傷の絶えない兄弟を親身になって手当てし「言いつけを守れば、最後は報われる」と諭す。文章が読めるエルマーに郵便係の仕事を与え、重労働から解放する。兄弟は「クリスマスは一緒に過ごせる」という母の言葉を信じ、つらい生活に耐える──。

 1960年代、閉ざされた施設に横行する児童虐待を、真正面から告発する。校長役ラース・ミケルセンの迫真の演技に凍り付く。兄弟の母的な立場となるハマーショイ先生の母性、エルマーが抱く宇宙への憧れが癒やしとなる。子役2人の演技が素晴らしく、幕引きにも救われる作品だ。

(文・藤枝正稔)

「きっと、いい日が待っている」(2016年、デンマーク)

監督:イェスパ・W・ネルスン
出演:ラース・ミケルセン、ソフィー・グロベル、アルバト・ルズベク・リンハート、ハーラル・カイサー・ヘアマン

2017年8月5日(土)、YEBISU GARDEN CINEMAほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.kittoiihigamatteiru.ayapro.ne.jp/

作品写真:(C)2016 Zentropa Entertainments3 ApS, Zentropa International Sweden AB.

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2017年08月02日

特集上映「ドゥミとヴァルダ、幸福についての5つの物語」ジャック・ドゥミ夫妻、再評価受け一挙に5作品

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 仏ミュージカル映画の傑作「シェルブールの雨傘」(64)、「ロシュフォールの恋人たち」(67)で知られるジャック・ドゥミと、同じく映画監督だった妻のアニエス・ヴァルダ。最近ドゥミの影響を受けた米ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」が注目され、再評価の動きが高まっている。

 特集上映「ドゥミとヴァルダ、幸福について5つの物語」ではドゥミが監督した「ローラ」(60)、「天使の入江」(62、日本初上映)、ヴァルダが監督した「ジャック・ドゥミの少年期」(91)、「5時から7時までクレオ」(61)、「幸福(しあわせ)」(65)の計5本がデジタルリマスター版で上映される。「幸福(しあわせ)」と同時に、ヴァルダが15年に監督した新作短編「3つのボタン」も上映される。

「ローラ」

 ドゥミの長編デビュー作。トレードマークとなった黒味から丸く画面が広がるアイリスインで幕を開ける。その後の作風を思わせる表現が随所に散りばめられている。港町ナントを舞台に、キャバレーの踊り子ローラ(アヌーク・エーメ)をめぐり、登場人物たちが繰り返しすれ違う。

 ドゥミの作品で面白い点は、人物が別の作品でも同じ役で登場することだ。「ローラ」は「シェルブールの雨傘」の前日譚ともいえる。主人公のローラン(マルク・ミシェル)は、この作品で夢破れて「アフリカに旅立つ」とナントの町を去っていく。その後「シェルブールの雨傘」で宝石商として成功。主人公のジュヌビエーヴ(カトリーヌ・ドヌーブ)と結婚する。

 「ローラ」に流れるミシェル・ルグランのテーマ曲「ウォッチ・ホワット・ハブンズ」は、「シェルブールの雨傘」の中で再び使われる。ローランが出会う母娘は、「シェルブールの雨傘」のジュヌビエーヴと母の原型だろう。ローラもドゥミ初の米映画「モデル・ショップ」(69)でその後が描かれる。「ローラ」はドゥミにとって原石。つたない部分もあるが、みずみずしい輝きを放つ愛すべき作品だ。

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「天使の入江」

 南仏のリゾート地ニースの「天使の入江」。パリから逃げてきた銀行員ジャン(クロード・マン)は、カジノでジャッキー(ジャンヌ・モロー)と出会い、2人でギャンブルにのめり込む。「天使の入江」はドゥミ作品では異質な意欲作といえる。ギャンブル依存症のジャッキー、ビギナーズ・ラックで博打にはまったジャン。ルーレットで勝ち負けを繰り返し、関係を深めていく。

 ジャッキーには夫と子供がいる。病んだ心をジャンは愛の力で断ち切れるか。夢見る作品が多いドゥミにしては現実的なテーマだ。ピアノの高音がきらめくルグランのテーマ曲は、ルーレットで転がり続ける玉の音を再現したよう。「ローラ」から始まるドゥミとルグランの合作は、ドゥミの遺作「思い出のマルセイユ」(98)まで続いた。

(文・藤枝正稔)

「ローラ」(1961年、フランス)

監督:ジャック・ドゥミ
出演;アヌーク・エーメ、マルク・ミシェル、ジャック・アルダン、アラン・スコット

「天使の入江」(1963年、フランス)

監督:ジャック・ドゥミ
出演:ジャンヌ・モロー、クロード・マン、ポール・ゲール、アンリ・ナシエ

2017年7月22日(土)、シアター・イメージフォーラムほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.zaziefilms.com/demy-varda/

作品写真:
「ローラ」(c) mathieu demy 2000
「天使の入江」(c) ciné tamaris 1994
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2017年08月01日

「ブランカとギター弾き」マニラのスラム 孤児の少女 盲目のギター弾きと幸せへの旅

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 フィリピンの首都マニラ。スラムに暮らす孤児の少女ブランカは、「お母さんをお金で買う」ことを思いついた。ある日、盲目のギター弾きピーターと出会う。ピーターから得意な歌で稼ぐことを教わり、2人はレストランで歌う仕事を得る。計画は順調に運ぶように見えたが、一方で思いもよらぬ危機が迫っていた──。

 写真家の長谷井宏紀が、イタリア製作で撮影した監督デビュー作「ブランカとギター弾き」。日本人として初めてベネチア・ビエンナーレ、ベネチア国際映画祭の出資で作られた。動画サイト「YouTube」に投稿した歌で見出されたサイデル・ガブテロがブランカ役。マニラで実際にギターを弾くピーター・ミラリがピーターを演じる。出演者の多くは路上で見出されたという。

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 スラム街の俯瞰ショットに、不機嫌な少女が映っている。11歳のブランカだ。道行く大人に話しかけるが相手にされない。ストリートチルドレンであるブランカの日常が淡々とつづられる。財布をすって暮らすブランカにも「母親がほしい」願いがあり、お金さえあれば買えると思い込む。

 ダンボールの寝床に横たわるブランカの耳に、ギターの音色が聞こえてくる。盲目のギター弾きピーターだった。ピーターの小銭をくすねようとするブランカだったが、逆に優しく話しかけられた。やがて2人は音楽を奏で、お金を稼ぐようになる。

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 ブランカや孤児たちの過酷な生活を通し、したたかな生き方と現実が描かれる。ブランカのスリや窃盗は、無邪気な悪意そのものだ。ピーターと出会って疑似家族のようになり、つかの間の幸福を味わうが、大人たちの悪意はさらに厳しいものだった。数々の試練を乗り越え、ブランカはようやく自分の帰る場所を見つける。監督の語り口は無駄がなく、シンプルで心うたれる作品となっている。

(文・藤枝正稔)

「ブランカとギター弾き」(2015年、イタリア)

監督:長谷井宏紀
出演:サイデル・ガブテロ、ピーター・ミラリ、ジョマル・ビスヨ、レイモンド・カマチョ

2017年7月29日(土)、シネスイッチ銀座ほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.transformer.co.jp/m/blanka/

作品写真:(C)2015-ALL Rights Reserved Dorje Film

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「海辺の生と死」越川道夫監督に聞く 満島ひかり4年ぶり主演作「芝居が生まれる瞬間を見て、写すことだけを考えた」

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 鹿児島県奄美群島・加計呂麻島育ちの作家、島尾ミホの同名小説を映画化した「海辺の生と死」が公開中だ。長編私小説「死の棘(とげ)」で知られる夫・島尾敏雄との出会いを、戦時下の奄美群島を舞台に描く。ミホがモデルとなった主人公・トエを演じた満島ひかり4年ぶりの主演作。越川監督は奄美でのロケ撮影に「芝居が生まれる瞬間を見て、写すことだけを考えた」と語る。

 1944(昭和19)年、奄美群島カゲロウ島。国民学校で教鞭をとる大平トエ(満島)は、島に赴任してきた海軍特攻艇の隊長・朔(さく)中尉(永山絢斗)と出会う。互いに好意を抱き、逢瀬を重ねるようになる2人だが、次第に敵の攻撃が激化。沖縄は陥落し、広島・長崎に原子爆弾が落とされる。ついに朔にも出撃命令が出され、トエは短刀を胸に抱き、浜辺へと駆け出す──。

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 島尾夫妻が生きた奄美・加計呂麻島をモデルとしたカゲロウ島。島に生まれ、島の自然と文化に抱かれ生きるトエは、この世の豊かな「生」を象徴している。奄美の島唄を歌う満島が島の空気に溶け込む。山や海にたたずむ姿に、野性的な生命力がにじんで見える。

 「満島さんは沖縄育ち、。とはいえ、その島の環境は奄美と大きく違います。奄美群島でも島によって言葉、音楽、風習などが異なる。僕も島で暮らしたことはありません。満島さんは奄美を知るため、島に何度も通った。僕は島が何かを感じる時間がほしかった。現場でそれをすり合わせ、たくさん相談し合って必死に作り上げました。」

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 朔のモデルとなった敏雄が書く「死の棘」は、後に妻となったミホが夫の不貞を知り、正気を失い、嫉妬に狂う修羅の日々を描いている。小栗康平監督によって映画化され、カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを獲得した。

 「(演出において)僕はコントロールを基本的にしません。誰かがコントロールした結果であるというよりも、お互いがセッションして出来た結果であることを望みます。できた映画は『監督の自己表現』と言うよりも、作品はスタッフや奄美の人々と一緒に撮った『現象』だと思います。僕は僕自身も自分をコントロールしない状態に置きます。積極的に迷子になり、たえずこの映画を発見しようとしました」

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 一方、満島は島へ通う中で、島の言葉や歌に触れ、自然に抱かれ「人間が個人個人というより、もっと大きな一部になった感じがあった」と振り返った。ルーツである奄美を舞台にした物語に、満島という個人としてかかわり「都会の人間がつくる作品。私が島を責任もって守らなきゃ、と必死だった」と語っている。

 でき上がった映画「海辺の生と死」は、そんな満島や俳優たち、越川監督やスタッフが、島尾夫妻の文章を媒介に、島に触れ、それぞれに発見を感じる過程が映された結果かもしれない。

 「もしかすると人は完成した芝居が見たいと思うかもしれませんが、僕は芝居が生まれる瞬間を見て、それを写すことを考えます。この世に見なくてもいい『生』はないと思う。俳優には脚本の奴隷になってほしくない。映画を撮ることは、発見を続けて終わるプロセスだと思います。できるだけ物語が規制する力を弱め、映画を世界に近づけたかった」

 満島や越川監督、俳優たちが、奄美に出会い、触れて生まれた確かなもの。満島の体によみがえる島尾夫妻の記憶、島の空気、つかみがたく濃厚な時間。観客はスクリーンに向かい、流れ出る何かをとらえ、全身で受け止めることになる。

(文・写真 遠海安)

「海辺の生と死」(2017年、日本)

監督:越川道夫
主演:満島ひかり、永山絢斗、井之脇海、川瀬陽太、津嘉山正種

テアトル新宿ほかで全国順次公開中。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.umibenoseitoshi.net/

作品写真:(C)2017 島尾ミホ / 島尾敏雄 / 株式会社ユマニテ
posted by 映画の森 at 10:47 | Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする