2016年03月27日

キム・ギドク監督に聞く 最新作「STOP」日本で撮影、脱原発へ強いメッセージ

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 東日本大震災、福島第一原子力発電所発の事故から5年を控えた2月末、韓国の鬼才キム・ギドク監督が「反原発」をテーマに日本で撮影した映画「STOP」が北海道のゆうばり国際ファンタスティック映画祭で上映された。

 原発事故後の人々の不安と苦しみを“ギドク節”で描いた「STOP」は昨年の釜山国際映画祭で発表され、日本では初上映となる。出演兼プロデューサーの合アレンとともにゆうばりを訪れたキム監督が、映画に込めた脱原発への思いを語った。

 原発がある地方都市が大地震に見舞われ、若い夫婦は避難命令を受けて東京に向かう。ほどなく妊娠中の妻のもとに、放射能の影響を理由に堕胎を勧める男が現れ、妻は次第に不安に押しつぶされていく。そんな妻を安心させるため、夫は自宅に戻って一見何も変わらない風景や動物を写真に収めようとするが、そこでショッキングな光景を目にする。やがて妻は胎児を守る気持ちを固めるが、夫は不安にさいなまれて極端な破壊行動に出る。夫婦と生まれてくる子どもには、どんな運命が待っているのか――。

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 ──「STOP」は全編日本ロケでキャストも全員日本人。キム監督が脚本と演出のほか撮影、照明、音声など技術面をすべて一人で担当した。

 毎日、やめて帰りたいと思うほどたいへんな現場だった。合アレンさんら日本の出演者たちが進行や運転、小道具などの作業を助けてくれたため、なんとか撮影を終えられた。日本の出演者たちには本当に感謝している。

 ──挑戦的で刺激的な映像表現は今回も健在だ。舞台と言語が日本であるだけに、日本に住む私たちには衝撃が直接的に伝わる。

 原発問題が日本で敏感で微妙な問題であることは知っている。韓国人である自分が日本の問題を描くことへの反発も予想した。だが私はこの映画を、一人の地球人として撮った。原発事故で最も大きな被害を受けるのは子どもたちの未来だ。大人の利益のために次世代にリスクを残すのは不幸なことだ。

 人間には忘却という、神が与えたものがある。つらい思い出を忘れて再生するための“よい忘却”もあるが、人間の失態を忘れてしまう忘却は恐ろしい。この映画を通して「フクシマを忘れないで」と訴えたかった。

 ──人間の根源的な欲望や醜さをえぐり出す作品を数多く生み出してきたキム監督。近年の作品は、きわめて具体的で政治色の強いテーマが多いように見える。前作の「殺されたミンジュ」では民主主義の崩壊に危機感を表した。弟子にシナリオを提供した「メイド・イン・チャイナ」は中国産食品への忌避感を暴きだし、「レッド・ファミリー」、「プンサンケ」では朝鮮半島の南北問題を描いた。本人がメガホンを取る次回作も南北問題がテーマだという。

 以前は人間に関する話を撮ってきたが、少し問題意識が変わってきたようだ。最近の映画で政治・社会問題を扱うのは、自分にとって重要だからだ。自分も社会の一員。映画でさまざまな矛盾を提示し、議論の土台にしてほしいと考えている。

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 ──「STOP」は衝撃的な内容が影響したためか、現時点で日本での配給は決まっていない。5回目の「3.11」を前に、日本で上映できた意味は大きかったのではないだろうか。

 私がこの映画で伝えたかったのは、最悪の事故を防ぐために、電気を節約し、原発の再稼働を最小限にし、代替エネルギーを開発する努力をしてほしいということだ。世界の原発は10年後に今の2倍の1000基に達し、中でも中国では180基が建設予定だという。特に中国は東海岸に多くの原発を建設しているが、そこで事故が起これば韓国も日本も安全ではいられない。私は自分や家族、友人たちが安心して暮らせる世の中を望んでいる。

 ──韓国の映画界では、旅客船「セウォル号」関連のドキュメンタリー映画の上映をきっかけに釜山国際映画祭の実行委員会側と行政側が対立するなど、言論の自由を脅かす問題がしばしば取り沙汰されている。

 これまで政界は映画産業に金を出してきたが、発言権はなかった。「金も出すが口も出す」という考え方になっているのかもしれない。ただ文化への圧力は許されない。時代の矛盾を切り取る表現に対し、検閲はあってはならないことだ。

(文・写真 芳賀恵)

写真1:キム・ギドク監督
写真2:キム監督と合アレン=いずれも北海道夕張市で2月下旬

「STOP」作品写真=映画祭事務局提供

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2016年03月25日

「ドロメ」男子篇&女子篇 甘酸っぱい青春とホラーの融合 2本同時公開シンクロムービー

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海が見渡せる山上にある男子高・泥打高校と、山のふもとにある女子高・紫蘭高校。来年の統合に向け、両校の演劇部が合宿することになった。颯太(小関祐太)ら男子部員、小春(森川葵)たち女子部員は、それぞれ出会いに期待と不安を抱いていた。女子たちは男子校へ続く山道を向かう途中、がけ下で泥まみれになった観音像を見つける──。

 「ドロメ」は並行する時間軸で男子の視点から描いた「男子篇」と、女子の視点から描いた「女子篇」の2本からなる。青春ホラー作品として同時公開される新感覚のシンクロムービーだ。単体でも成立するが、両方見て初めて全体像が見えてくる。ちょっと意地悪な構成だ。

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 監督は「先生を流産させる会」(11)で注目された新鋭・内藤瑛亮。今回はコミカルで甘酸っぱい青春とホラーをミックスさせた。男子、女子それぞれにしかないシーンもあるが、一緒になるメーンの場面は共通する。DVDソフトのマルチアングル機能を、さらに進化させた手法といおうか。

 男女一緒の合宿は、高校生にとって一大イベント。浮足立つメンバーの陰で、怪奇現象が発生する。泥まみれの観音像「ドロメ」が伝える土石風俗と、男子校で失踪した女性教師のエピソード。ざわつく気配が生徒たちに忍び寄る。甘くゆるい青春描写が続く中、緊張感を生む教師の桐越(東根作寿英)がポイントになる。

 ベートーヴェンの交響曲「第九」に乗せて描かれる生徒たちとドロメの死闘。ドロメとゾンビの相違点も興味深い。男子、女子それぞれの主人公、颯太と小春が抱き続けたトラウマ克服の物語でもある。新ジャンルを開拓した内藤監督の次にも注目したい。

(文・藤枝正稔)

「ドロメ」男子篇&女子篇(2016年、日本)

監督:内藤瑛亮
出演:森川葵、小関裕太、中山龍也、三浦透子、大和田健介

2016年3月26日(土)、シネマート新宿ほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://dorome-movie.com/

作品写真:(C)2016「ドロメ」製作委員会

タグ:レビュー
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2016年03月24日

「光りの墓」アピチャッポン監督最新作 “眠り病”と王国の戦争 時空を超え非合理な世界

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 タイ東北部イサーン地方。かつて学校だった仮設病院に、中年女性ジェンがやってくる。“眠り病”に冒された兵士たちの世話をしにきたのだ。何千年も前、この近くで王国間の戦争があり、病院がある場所は国王たちの墓だった。国王たちの魂は、兵士たちの生気を吸って、今も戦いを続けている。眠り病はそのせいで起きていた――。

 眠り病を治療する装置が珍妙だ。ベッド脇に管を据え付け、青、緑、赤などさまざまに変色する光を流す。装置のメカニズムは説明されず、治療効果も不明。暗闇の中で多色変化する光が醸し出す光景は、SF映画さながらである。

 幻惑的な光は、やがて病院外にも侵出。外出した兵士の中には、突如として眠り込んでしまう者もいる。眠り病が引き起こす唐突な展開は、しばしば笑いを誘う。だが、ユーモラスな描写の裏には、タイが歩んできた流血の歴史と不穏な政情が透けて見える。

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 アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の過去作と比べ、ややメッセージ性が強い作品。とはいえ、過去と現在、現実と夢想が境目なく続く非合理な世界は健在だ。ジェンが礼拝した仏堂にまつられていた王女姉妹が、現代女性として現われ、ジェンに眠り病の秘密を語るシーン。霊能者の女性に乗り移った兵士が、ジェンを観客からは見えない王宮へと案内するシーン――。シュールなシーンの合間には、空き地を掘り起こす工事風景、公園で市民が運動する風景など、ごく日常的なカットが挿入される。

 カンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)をタイ映画として初めて獲得した「ブンミおじさんの森」(2010年)で来日時、監督は自作について「映画全体を自分の記憶の層のような構造にしている」と説明していた。今回も構造は変わらない。舞台となっている仮設病院は、母親が勤務していた病棟の記憶、ジェンがイットと一緒に見るホラー映画は、少年時代に足しげく通った映画館の記憶がベースとなっているようだ。古代王朝や霊の話も、幼少時から親しんできた世界であり、“眠り病”は新聞記事で読んだ話がヒントになったという。

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 記憶の一つひとつを起承転結のストーリーに組み込むことなく、「連鎖しない発想が次々と浮かぶ」心の動きに従って自由に組み合わせているのが、アピチャッポン監督の映画である。ストーリーにこだわらず、映像の流れに身を委ねていればよい。見終わった瞬間に、多くの鮮烈なイメージとともに、強烈なメッセージが立ち上がる。

(文・沢宮亘理)

「光りの墓」(2015年、タイ、イギリス、フランス、ドイツ、マレーシア)

監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー、バンロップ・ロームノーイ、ジャリンパッタラー・ルアンラム

2016年3月26日(土)、シアター・イメージフォーラムほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

www.moviola.jp/api2016/haka 

作品写真:(c)Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)
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2016年03月12日

「エスコバル 楽園の掟」逆らえない逃げられない 麻薬王はすべてを支配する

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 カナダ人青年がコロンビアにやってくる。一足先に現地入りした兄と合流し、サーフィンを楽しむ計画だ。眼前に広がる青い海、白い砂浜。思い描いていた通り、そこは最高のビーチだった。しかもとびきりの美女までゲットした。彼女の叔父は現地でも有名な大富豪。青年はパーティーで紹介された叔父に、たちまち気に入られるのだが――。

 優しく気前のいい叔父のパブロ。だが彼には「極悪非道な麻薬カルテルのボス」という裏の顔があった。青年ニックが気付いた時はもう手遅れ。“家族”の一員に組み込まれ、身動きがとれなくなっていた。

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 家族すなわち犯罪組織。パブロがニックを家族として受け入れた時点で、ニックは犯罪実行者の役割を割り振られていた。拒否する選択肢はない。生き延びるためには命令に従うしかない。だからといって、殺人を犯すわけにもいかない。驚くべきは警察を頼れないこと。政治家、慈善家の顔も持つパブロは、警察をも牛耳っているからだ。

 ジレンマに押しつぶされそうになりながら、必死で活路を探るニックを「ハンガー・ゲーム」シリーズのジョシュ・ハッチャーソンが熱演。自分自身と愛する女性を守るため、プロの殺し屋たちを向こうに回し「ハンガー・ゲーム」さながらのアクションを繰り広げる。

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 一方、実在した麻薬王、パブロ・エスコバルに扮するのはベニチオ・デル・トロ。服従する者には報酬を与え、反抗する者には容赦ない制裁を加える。二面性を持つ伝説の犯罪者を演じ、圧倒的な存在感を見せている。

 パブロの人物造形に、デル・トロの演技力が大きく寄与していることは間違いない。しかし、初メガホンとは思えないアンドレア・ディ・ステファノ監督の洗練された演出力の貢献度も大きい。

 たとえばニックに「猛犬に襲われた」と聞き、即座に誰の仕業かを悟り、パブロが手にメモをとるシーン。次のカットでは、加害者が逆さ吊りで焼き殺されている。パブロの冷酷無残さを、最も簡潔なやり方で、最も鮮烈に描写しており見事である。

(文・沢宮亘理)

「エスコバル 楽園の掟」(2015年、フランス・スペイン・ベルギー・パナマ)

監督:アンドレア・ディ・ステファノ
出演:ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ハッチャーソン、クラウディア・トレイザック、ブラディ・コーベット、カルロス・バルデム

2016年3月12日(土)、シネマサンシャイン池袋ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.movie-escobar.com/

作品写真:(c)2014 Chapter 2 – Orange Studio - Pathé Production – Norsean Plus S.L – Paradise Lost Film A.I.E – Nexus Factory - Umedia – Jouror Developpement
タグ:レビュー
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2016年03月11日

「母よ、」母と娘の最後の交流 ナンニ・モレッティ監督自伝的映画

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 難航する映画の撮影。元夫と暮らす娘の教育。同居していた恋人との別れ。死期が迫る母親の看病。いくつもの難題を抱え、どれからも逃れられないヒロインの心の危機が描かれる。

 映画監督であり、娘であり、母親であり、一人の女性でもある主人公のマルゲリータ。しかし、どの面から見ても及第点にはほど遠い現実が、彼女を苦しめ、いら立たせている。

 マルゲリータの神経を最もかき乱しているのが、米国から招いた主演俳優のバリーだ。言うことなすこと、いちいちエキセントリックで、しかもセリフの覚えが悪いのだ。何度も何度もNGを出しては現場を困らせる。失敗しても反省はなく、脚本に八つ当たり。身勝手なふるまいに翻弄され、疲労が限界に達したマルゲリータは、しばしば悪夢にうなされベッドで飛び起きる。

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 実はバリーの不調には理由があった。マルゲリータがそれを知ったことで、2人の間の壁が崩れる瞬間が感動的だ。バリーとの和解はマルゲリータにとって現状打破の契機となり、娘や母との関係を修復するためのステップにもなる。その意味でバリーの存在意義は大きい。粗野に見えるが内面は繊細。複雑なキャラクターをジョン・タトゥーロが絶妙に演じている。

 物語のベースとなっているのは、監督のナンニ・モレッティ自身が体験した実母の死だ。自伝的な作品といえるが、主人公を女性監督に設定した分、事実との間に距離が生じ、普遍的なドラマへ昇華している。

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 マルゲリータにとってかけがえのない存在である母。なのに自分は母のことを何も知らず、母のために何もしてこなかった。最期の時を迎えようとしている今でさえ、何もしてやれないでいる――。仕事や生活に忙殺される中、母親と十分な時間を過ごすことができないまま死別した。同じ経験を持つ者であれば、ヒロインの言動、表情が心の琴線に触れてくるに違いない。

(文・沢宮亘理)

「母よ、」(2015年、イタリア・フランス)

監督:ナンニ・モレッティ
出演:マルゲリータ・ブイ、ジョン・タトゥーロ、ナンニ・モレッティ、ジュリア・ラッツァリーニ

2016年3月12日(土)、Bunkamuraル・シネマ、新宿シネマカリテほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.hahayo-movie.com/


作品写真:(c)Sacher Film . Fandango . Le Pacte . ARTE France Cinéma 2015
posted by 映画の森 at 06:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする